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トリノ、24時からの恋人たち
DOPO MEZZANOTTE

2006年9月2日より、Bunkamuraル・シネマにてロードショー

story
マルティーノ(ジョルジョ・パゾッティ)はモーレ(国立シネマ・ミュージアム)の使われていない小部屋を自分の住処とし、さながらバスター ・キートンの映画のセットのような内装の中で、夜は夜警の傍らにフィルムを回し、昼は古びたカメラを持ってトリノの街を写し取ってい る。生身の人間と関わることはほとんどない。
アマンダ(フランチェスカ・イナウディ)は小さなハンバーガーショップで働いている。しかしマネージャーとの折り合いも悪く、今日も深夜 24時の就業時間をめぐって言い争いをしたばかりだ。先の見えない仕事に苛立ち、このままこの街で自分の夢も沈んでしまうのでは ないかと落ち込む日々。恋人のアンジェロ(ファビオ・トロイアーノ)がバイクで店に迎えに来てくれるときだけが楽しみだ。
しかし、そんな二人の関係も、決してアマンダの満足のいくものではなかった。アンジェロは車泥棒を家業としているため、深夜が彼の 活動の時間帯。わずかな時間をアマンダと過ごすと、そそくそと部屋を出て行ってしまう。それに、本当に仕事のために出て行くのかす ら、彼女には確証がもてない、アマンダのルームメート、バルバラ(フランチェスカ・ピコッツァ)だって、アンジェロを狙っているのだから。

月明かりが美しいある真夜中・・・。アマンダは今夜もマネージャーと言い争っていた。そして怒りが沸点に達した彼女は、油をマネージ ャーの下半身にぶちまける。警察に通報され、思わず逃げこんだ場所が近くのモーレだった。事情の説明もなしに、あっさりアマンダを 受け入れるマルティーノ。それがふたりの、奇妙な生活の始まりだった。 彼女とどう距離をとっていいかとまどっているマルティーノにアマンダはいらだちながらも、アンジェロにない控えめさに惹かれていく。触 れ合えそうで触れ合えない、どこかもどかしく心ときめく時間が、外の喧騒とは別に流れていく.。一方では、警察の捜査がアンジェロに まで及んでいた。

ある夜、ようやく少し打ち解けてきたマルティーノは、アマンダに見せようという。そこにはトリノの街が、過去の映画へのオマージュのよ うに映されていた。やがてそれは少しずつ様相を変え、アマンダが映し出されていく。それもモーレに迷い込む前のアマンダが。フィル ムは彼女自身が忘れかけていたような感情まで映しとっていた。マルティーノが長い間、ハンバーガーショップの顧客だったことさえ、 その時まで気づかなかった。それまでのささやかなマルティーノの想いが、やがてアマンダの心を満たしていく。そして二人はベッドを共 にするのだった・・・。

 

キャスト
ジョルジョ・パゾッティ
フランチェスカ・イナウディ
ファビオ・トロイアーノ
フランチェスカ・ピコッツァ
シルビオ・オルランド
ピエトロ・エアンディ
アンドレア・ロメロ
ジャンピエロ・ペローネ
 





ダヴィデ・フェラーリオ監督 インタビューより

Q:キートンとトリュフォーを引用したのは?
映画には常に人の想像を超える独特の自由があると思う。本作には数多くの映画に対する愛の告白がある。そして完璧なキートンと、 へまばかりしている主人公との2人のコントラストも。私はコミュニケーションの道具としての映画を愛しているんだ。『トリノ、24時からの 恋人たち』でキートンとトリュフォーを引用しているのは、単なる偶然ではない。2人とも映画を”物を語る道具”として意識的に使ってい たからだ。キートンのような人物はもはや時代錯誤なのだ。近頃、笑いの対象となるのはもっと不運なことに対してだ。だからキートン のギャグを再びやるのは、ただ単に笑いのためだけでなく、すでに失われてしまったものに固執する、一種のノスタルジーであるという ことも示唆している。マルティーノという人物が几帳面に働くのは、彼が時代に取り残されているからなんだよ。 この作品のストーリーはシンプルだが、基本的な”イノセンス”、つまり登場人物と映画への愛情を表現していると思う。見た人には、笑 いと涙がある映画だと言われたい。バカバカしい意味ではなくね。それに、最後には”いい気分”になってもらいたい。昔のハリウッド映 画を見終わったときのような感覚だ。 昨今、オリジナリティはまるで高尚なコンセプトのように扱われている。本作は感傷的にならずに、いくらか心が温まる、そんな単純な 映画なんだよ。


 


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ラストに、「マリア・アドリアーナ・プローロとバスター・キートンに捧ぐ」という献辞がでるように、数々の映画作品へのオマージュとなっている。それだけでも楽しいけれど、一方で、映画と現実世界とのズレが静かに表現されているところが興味深い。
アマンダの恋人アンジェロは、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドのように、車泥棒であり、ラストは無残に撃たれて死んでしまう。『勝手にしやがれ』ではそこで時間がプツンと止まってしまうような印象を受けたが、こちらは、その後の時間の流れを感じさせてくれる。
アンジェロが現実の象徴、マルティーノが夢の世界を生きる住人として対峙しているかのようだ。アマンダがキレルことによってそれが入れ替わる。夢を持たせてくれているのだろうか、監督も言ってるように、シンプルだが幾分いい気分にさせてくる作品である。 (JS)


Davide Ferrario
監督・製作・脚本:ダヴィデ・フェラーリオ
1956年生まれ。トリノ在住。雑誌の映画批評やエッセイを経て、1982年にはイタリアで初めてのR.W.ファスビンダーに関する書籍を執筆 。またリンゼイ・アンダーソン著『ジョン・フォードを読む』の翻訳も手がけた。現在も雑誌や新聞で映画コラムを書いている。 70年代の終わりにアンジェイ・ワイダの『大理石の男』(’77)やヴェンダースの『さすらい』(’76)を配給する会社を始める。その後、ジョ ン・セイルズ、スーザン・シーデルマン、ジム・ジャームッシュなどアメリカのインディペンデント映像作家のエージェントになる。 本作は6本目の長篇監督作。


         
     

スタッフ
監督・製作・脚本:ダヴィデ・フェラーリオ
製作総指揮:ラディス・ザニーニ
助監督:フェルナンダ・セルヴァッジ
衣装:パオラ・ロンコ
音楽:バンダ・イオニカ / ダニエレ・セーペ / ファビオ・バロヴェーロ
美術監督:フランチェスカ・ボッカ
撮影監督:ダンテ・チェッキン
編集:クラウディオ・コルミオ

イタリア/2004/1時間33分/35mm/1:1.85/カラー/ドルビーデジタル
原題:Dopo Mezzanotte(英題: AFTER MIDNIGHT )
日本語字幕:岡本太郎
配給: クレストインターナショナル


オフィシャルサイト
http://www.crest-inter.co.jp/torino24/index2.html