クリムト
Klimt

2006年10月28日Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほかにて公開

■story
1918年。ウィーンの栄光は、終焉を迎えようとしていた。そして、画家、グスタフ・クリムト もまた、命の灯火を消そうとしていた。脳卒中で倒れ病院に運ばれたクリムト。しかし彼を見舞うのはエゴン・シーレただ一人。発作に苦 しみ、朦朧とした意識の中、クリムトの目には、栄光と挫折の人生がよみがえる。

1900年。保守的なウィーンでは彼の描く裸の女性がスキャンダルとなっていた。対照的に、先進的なパリでは絶賛され、パリ万博で金賞を受賞する。 その会場でスクリーンに映る美しい女性レアに心奪われたクリムト。彼は嫉妬する恋人ミディをおいたまま、文化省の書記官の計らいで、レアと密会を果たし、彼女の肖像画の依頼を受ける。



 


■キャスト
クリムト / ジョン・マルコヴィッチ
ミディ / ヴェロニカ・フェレ
レア・デ・カストロ / サフラン・バロウズ
エゴン・シーレ / ニコライ・キンスキー
ミッツィ / アグライア・シスコヴィッチ
書記官 / スティーヴン・ディレイン
 





ウィーンに戻ったクリムトは、大臣から助成金を打ち切られたことを聞き、ますます反抗的になる。そんなとき、クリムトのモデルをしていたミッツィが彼の子どもを産んだことを聞き、会いに行く。彼にはモデルたちとの間に、すでにたくさんの子どもがいたのだ。恋人ミディにプラトニックな愛を求め、モデルたちに肉体的な愛を求めるクリムト。しかし彼の魂が求めるのは、宿命の女レアだけ。

書記官にレアと会うことを促され、彼女の居場所を教えられる。しかし、周囲の人には書記官の姿は見えず、クリムトの独り言にしか見えない。謎の書記官はクリムトのもう一人の自分、心の声だった。心の声に導かれるままに、彼はレアの庇護者である公爵に会いに行く。しかしレアは死んだと告げる公爵。 虚構と現実が入り交じり、深まるパラノイア。自分の存在さえ儚くなる──。レアを求め、雪の中クリムトはアトリエに戻るのだが...。

     

 
     
■プロダクションノート

監督・脚本:ラウル・ルイス
1941年、チリ・プエルトモント生まれ。 舞台の脚本を書くことを主とし、56年から62年の間に手がけた作品は100本を超える。68年、「Tres tristes tigers」で監督デビュー。しかし73年チリの軍事政権交代によりパリへ移住。78年、ピエール・クロウスキー原作の「L'Hypothese du tableau vole」がヨーロッパでヒットし、夢と現(うつつ)の狭間を移ろう様を描ける映像詩人としての地位を不動のものとした。日本初公開となった『見出されたとき「失われた時を求めて」より』('99)を始め、4作品がカンヌ国際映画祭でパルムドールにノミネートされている。

 『クリムト』はグスタフ・クリムトの人生や彼の生きた時代を順番通りに追っている単なる伝記映画ではない。もっと空想的で、幻想的な映画と言えるだろう。画家クリムト 自身から素材が螺旋状に渦を巻き、溶け合う、まるで彼の作品のような映画である。独創的な作品の特徴、卓越された美意識、多様な色彩、空間的なゆ がみ、クリムト特有の複雑なものの見方を映像の中に生かすようにした。そして豊かだがどこか不気味な19世紀末を再現し、その背景を明らかにしようとした。
本作は夢と現(うつつ)、正気と狂気が入り混じった作品である。さらに、この作品はあらゆる意味でワルツなのだ。止まることなく回転し、どんどんスピードに乗り、目が眩むほど陽気にテンポを刻み続ける。事実、私の頭の中にはクライマックスが近づくにつれて不気味にテンポが速くなっていき、思いもかけないところで唐突に終 わってしまうラヴェル作曲の「ラ・ヴァルス」という曲が流れていた。  そして、梅毒によってクリムトの情緒が不安定になっていったことが痛烈に示しているように、安心で きる不変的なものなどない、ということを私は言いたかった。 物や壁の動きによって空気は微妙に変わる。照明の当て方も変わってくるし、もちろん役者たちの動き方も 変わってくる。
物語の舞台はハプスブルク家の衰退と、慌しく揺れ動く19世紀末のウィーン。ほとばしる感情と秘密の恋愛、性的欲望を持っていると注目の的になってし まうような時代だった。激動の時代、芸術的な個性が芽生えたとされる時代である。新しい時代を開拓するためにクリムトは社会的風潮と自国の制約を打破しなくてはな らなかった。彼はロマンチックな恋愛と、時には正反対である普遍的な家庭生活からそれらを模索した。しかし、皮肉にも危険な恋愛が優先となり、家庭は彼にとって波 乱に満ちたものとなってしまう。
クリムトが全体よりも細部に、総合的な表現よりもディティールにこだわったように、私も細かい部分に対する欲求を持っている。この作 品は美と喜び、そして19世紀末の頽廃的な美意識にあふれていると同時に、死に対する意識と死への予言もはらんでいる。この映画がクリムトの生きた時代 をうまく映し出せていることを願っている。まさに、この映画の中で死は喜びである。 (プレス資料より転載)

 
 
■Gustav Klimt Biography

1862 7月14日ウィーン郊外に彫金師の長男として生まれる。
1876 工芸学校に入学。弟のエルンスト、ゲオルクも後に同校に入学する。
1879 弟エルンスト、友人のマッチュとともに装飾の仕事を始める。
1888 ブルク劇場に施した壁画の装飾が認められ、26歳にして皇帝フランツ・ヨーゼフより、黄金功労十字章を受ける。
1897 ウィーン分離派結成。会長に選任される。この頃から、恋人エミーリエ・フレーゲ(本作ではミディ)とアッター湖畔で夏を過ごすようになる。
1900 第7回分離派展に未完成の「哲学」を出品。裸体を大胆に描いたことで、スキャンダルを巻き起こす。パリ万博では同作品が金賞を受賞する。
1901 第10回分離派展に「医学」出品。さらに批判をあびる。
1905 ウィーン大学講堂天井画の制作を打ち切り、制作費を返還し作品を引き取る。分離派内で対立が起こり、クリムトほか18名が脱退する。
1907 エゴン・シーレと親交を深める。
1911 ローマ国際美術展で「死と生」が最高賞受賞。
1916 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世崩御。実質的にハプスブルグ家が終焉を迎える
1918 脳卒中で倒れる。スペイン風邪の影響で肺炎を併発し、2月6日死去。10月31日エゴン・シーレもスペイン風邪により死去。

(参考文献:「アール・ヌーヴォーの世界3 クリムトとウイーン」学習研究社 刊)

 







■スタッフ
監督・脚本:ラウル・ルイス
製作代表:ディエター・ポホラトコ
製作:
アルノ・オートマイアー
マシュー・ジャスティス
アンドレアス・シュミット
撮影監督:リカルド・アロノヴィッチ
セット・デザイン:ルディ・ツェッテル
            カタリーナ・ウォッパーマン
絵画制作:フランツ・ヴァナ
衣装:バージット・フッター

 


     




   


■オフィシャルサイト
http://www.klimt-movie.com/


2006年/オーストリア・フランス・ドイツ・イギリス合作/97分/カラー/35mm/アメリカン・ヴィスタ/Dolby SRD/原題:Klimt
字幕翻訳:古田 由紀子
編集協力:植田 泰
配給:メディア・スーツ
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