Cinema Top > Archive |
||||||||||||||
ボビー
|
■キャスト アンソニー・ホプキンス デミ・ムーア シャロン・ストーン イライジャ・ウッド リンジー・ローハン ヘレン・ハント クリスチャン・スレーター』 ウィリアム・H・メイシー ヘザー・グラハム ローレンス・フィッシュバーン アシュトン・カッチャー マーティン・シーン ジョシュア・ジャクソン バリー・ベラフォンテ ニック・キャノン メアリー・エリザベス・ウィンステッド エミリオ・エステヴェス |
|||||||||||||
|
BACKSTAGE SUITE ROOM COFFEE SHOP BALLROOM
※ ※ ※
|
|||||||||||||
─ロバート・F・ケネディが好んで引用したラルフ・W・エマソンの言葉─ "ひとりの人間がその信念の上にしっかりと立ち、留まるならば、無限の世界がその人の周りに集まってくるだろう" ─1968年4月、オハイオにおけるロバート・F・ケネディのスピーチ─ "暴力が暴力を生み、弾圧は報復をもたらし、そしてこの病を我々の魂から取り除くことができるのはただ一つ、我々の社会全体を浄化するしかない" ※ ※ ※ 監督のエミリオ・エステヴェスは、6歳だったが、ロバート・F・ケネディが亡くなったあの夜のことを鮮烈に覚えている。ボビーが撃たれたというニュースをテレビで見た彼は、寝ていた父親のマーティン・シーンを起こしたという。 長い間ケネディ家の支援者だった父は、RFKが最後のスピーチをした現場、アンバサダーホテルに息子を連れて行った。 「父は私の手を握り締めながらあの大ホールを歩き回って、我々の失ったものについて話してくれた」 とエステヴェス監督は回想する。 数10年経ち、有望な脚本家兼監督となったエステヴェスは、新しい企画を模索中に、 取り壊し作業中だったアンバサダーホテルに足を運んで妙案を思いつき、RFKが暗殺された夜のことを書き始めようと決心した。 「最初に決めたのは、ボビーの精神を称える物語を語りたいというものだった」 エミリオ・エステヴェスの脚本がハリウッドに広まり始めると、そのテーマに対する彼の熱意が、 22人のキャストを結集させた。全員が最低の出演料での出演に同意した。 最初に決まったのが、ジョン・ケイシー役のアンソニー・ホプキンス。彼はボビーの死の瞬間を鮮烈に覚えている。 「私はロンドンのスタジオの椅子に座っていて、あのニュースをテレビで見た。 "世界は狂っている"と思わず叫んだよ。JFKも、マルコムXも、キング牧師も、 そしてRFKもこの世からいなくなったんだからね」 ホプキンスが最初に配役されたことは、他の俳優たちを惹きつける要因となった。 実際に、ボビーが暗殺された直後にも会う予定だったハリー・ベラフォンテはネルソン役を勇んで引き受けた。 「彼のすごい魔力に魅せられていたからね。あの悪夢の瞬間、すべての人間の歴史をも変えてしまった」とベラフォンテ。 |
||||||||||||||
>>> ホテルの1室でLSDで幻覚をみるシーンにクリームの「スプーンフル」が流れる・・・、 1968年は音楽的にも充実した年でした。 この年の6月5日、全米国民から「ボビー」の愛称で親しまれ、希望の星だったアメリカ大統領候補、 ロバート・フランシス・ケネディ上院議員が遊説先のロサンゼルスのアンバサダーホテルで凶弾に倒れました。 キング牧師が暗殺された2か月後、彼が民主党カリフォルニア予備選で圧勝し「勝利のスピーチ」をした夜のことでした。この物語はその日、ホテルにいた人々の生活を切り取りながら、一人のカリスマがどういう存在であったかを思い起こさせるアンサンブルドラマです。 ベトナム戦争の段階的拡大の停止を提唱、貧困の撲滅、人種問題、黒人の公民権問題や環境問題・・・。 1968年はローマクラブが立ち上げの準備にはいった年でもあり、そのスピーチには、 現在にも通じる普遍性を強烈に感じます。 (JS)
|
|
|
||||||||||||
|
2006年/アメリカ/カラー/スコープサイズ/ドルビーデジタル・SDDS・dts/120分/原題:BOBBY/字幕翻訳:松浦美奈 |
|||||||||||||
|
||||||||||||||