ヴィットリオ広場のオーケストラ
L'orchestra di Piazza Vittorio

2007年11月よりシアター・イメージフォーラムにて公開

■ストーリー
小さなバンド「アビオン・トラベル」でピアノとキーボードを演奏するマリオ。彼は、歴史あるエスキリーノ地区の中心部、ヴィットリオ広場に住んでいます。そこは、続々と移民が住み始め、ローマで最も多くの民族が暮らす場所になっています。民族の数は少なくとも60以上。今やイタリア人がマイノリティーだと皮肉られるほど。

マリオの夢はオーケストラを結成すること。そんなマリオに、イタリアで最も古く美しい劇場のひとつ、アポロ劇場がビンゴホールに姿を変えようとしているということを知ります。
彼は、同じくエスキリーノに住んでいるドキュメンタリー映画作家アゴスティーノ・フェッレンテと出会い、劇場を救って地元の手に戻そうと働きかけます。

彼らのそれぞれの創作活動上の夢は、やがてアポロ11協会を結成することになります。それは、ミュージシャン、知識人、俳優、あらゆるジャンルの芸術家、この場所をこよなく愛する住民たちから成り立つものです。
2002年10月、アポロ劇場前の路上で、アポロ11は劇場救済の支持を集めるためのライブコンサート開きます。それが、その後5年間に及ぶ、マリオが、ミュージシャンたちを見出していく絶望的ともいえる旅のはじまりとなります。

 

 




       

 

試練と大いなる思い違いを経て、オーケストラは約20人のメンバーで結成されます。そこには、カトリック、モスリム、ユダヤ、ヒンズー教徒、無神論者がいます。音楽を生業とする者も夜中に車のフロントガラスを洗って糧を得る者もいる。楽譜を読めない自己流のミュージシャンもいればコンセルバトワールの学位をもっている音楽家もいる。2、3人のイタリア人がいる一方で、体制の犠牲者、帰るべき家が失われてしまった者がいます。

様々なところからやって来たミュージシャンたち。ただ中国人だけはいません。近づきがたい彼らのコミュニティから何らかの共感を得るのは不可能でした。しかし彼らが運営する中国製の靴やTシャツの問屋はじわじわとエスキリーノの街を覆いはじめています。地元住民の苛立ちをよそに着実に根を拡げています。ほとんどの場合は右翼ですが、彼らに対するデモンストレーションは日常化しています。

よくあるメンバー内のゴタゴタ、協会の経済上の困難、苦難にもかかわらず「ヴィットリオ広場のオーケストラ」は、形を作り始めます・・・

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■キャスト
ウシーヌ・アター(ヴォーカル) 出身国:チュニジア
ペッペ・ダルジェンチオ(バリトンサックス,バスクラリネット) 出身国:イタリア
エヴァンドロ・セザール・ドス・レイス ( クラシックギター,カヴァキーニョ,ヴォーカル ) 出身国:ブラジル
オマール・ロペス・ヴァレ(トランペット,フルーゲルホーン) 出身国:キューバ
アワリス・エルネスト“エル・キリ”ロペス・マチュレル(ドラム,コンガ,ハンドクラップ,ビート,ヴォーカル) 出身国:キューバ
ジョン・マイダ( ヴァイオリン ) 出身国:アメリカ
エスター・ナジパル(チェロ) 出身国:ハンガリー
ガイア・オルソーニ(ヴィオラ ) 出身国:イタリア
カルロス・パス( ヴォーカル,アンデスフルート) 出身国:エクアドル
ピーノ・ペコレッリ(ダブルベース,エレクトリックベース ) 出身国:イタリア
ラウル“クエルヴォ”スチェッバ(マリンバ,グロッケンスピエル,コンガ,パーカッション) 出身国:アルゼンチン
ジュゼッペ・スマルディーノ(フレンチホーン) 出身国:イタリア
エル・ハッジ“パップ”エリ・サム(ヴォーカル,ジャンベ,ドゥムドゥム,サバル) 出身国:セネガル
“カウ”ディアリー・マディ・シソッコ(ヴォーカル,コラ) 出身国:セネガル
ジアド・トラベルシ(ヴォーカル,ウード) 出身国:チュニジア
マリオ・トロンコ( 芸術監督,フェンダーピアノ ) 出身国:イタリア


       
 
■監督コメント  プロダクション・ノートより
子供のころから、「すべての道はローマに通ず」という話を何度も聞いたものですが、そのたびにそれはたんなる言葉で、伝説の産物、時代錯誤な話だと思ってきました。 数多くの親戚が世界中に移住していますが、目的地をローマに選んだ者は一人もいません。なぜならローマは南すぎるというか満足できるほど北に位置していなかったのだと思います。

しかしながらいろいろ動き回った後ローマに移住して、私は近所に外国人が大勢いる環境にすぐに魅了されました。そこにはかつてこの首都を目指して移住してきた南イタリアの年寄りたちも大勢いました。しかも彼らは新たなる移住者たちに常に存在を脅かされているのです。

私は、世界というのは長い間こうして回っているのだということに気づきました。そして私は古い格言がどれほど真実にあふれているかを思い知ったのです。 なぜなら、今日ローマは目的地としては必ずしも好まれていないかもしれませんが、確実に北ヨーロッパへの入口となっています。


       


そこには故郷を捨ててどこか温かく迎えてくれる場所を探し求める人々がいるのです。イタリア人が人種差別者だから他所へ行くということではなく、イタリア人が移民者を受け入れるという、これまでと逆の役割にもっと慣れる必要があるのです。 温かく迎えてくれるというのは移民としてではなく市民として迎えられるということなのです。

この映画では、移民たちが、自分自身の技術で生活費を稼ぎ出すという夢をどのようにしてかなえるのかを見せています。このことは私たちのミュージシャンたちにもあてはまることです。 彼ら一人一人との出会いは唯一無二の彼らの個人史との大いなる遭遇だったといわねばなりません。
私は30人あまりのミュージシャンと出会いました。 とても1本の映画には入りきれるようなものではありません。多くの音楽に捧げた個々の路が互いに交わるオーケストレーション、それがこの映画です。

 
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かつてのローマはどこへ行ったのだろう。グローバル化される都市の象徴的な姿なの?そんな声が聞こえてきそうな変わり果てた今のローマ。
歴史的な建物であるアポロ劇場がなんとビンゴホールになろうとしていた。そこに立ち上がった、ひとりの地元ミュージシャン。彼はアポロ劇場専属オーケストラをつくって、この劇場を救おうとする。
だが、探せども探せどもミュージシャンはいない。そんな苦難があるから、いったいどうなるのだろうという不安と期待が入り混じる。彼らの道のりはそのまま感動物語となっていた。 (JS)









■監督/プロデューサー/美術監督:アゴスティーノ・フェッレンテ
Agostino Ferrente

71年イタリア南部のチェリニョーラ生まれ。
本人曰く、エルマンノ・オルミによって組織されたグループ「イポテシ・チネマ」及びボローニャ大学の舞台演劇学科の生き残り。映画監督になる以前は、外国のイタリア人コミュニティのための新聞やテレビの編集やコーディネーターをしていた。
そしてシルヴァノ・アゴスティ監督の助監督になり、やがて93年から翌年にかけて監督した2本の短編映画が国際映画祭で認められるようになった。02年「アポロ11」結成に至る。「アビオン・トラベル」のマリオ・トロンコと共同で「ヴィットリオ広場のオーケストラ」を結成。

■スタッフ
監督・脚本: アゴスティーノ・フェッレンテ
共同脚本: マッシモ・ガウディオーゾ/マルアンジェラ・バルバネンテ/フランチェスコ・ピッコロ
音楽: ヴィットリオ広場のオーケストラ
音楽監督: マリオ・トロンコ
編集: デジデーリア・ライネル/ヤーコポ・クァードリ
撮影: グレタ・デ・ラッザーリス /アルベルト・ファズーロ/シモーネ・ピエリーニ/ジョヴァンニ・ピエルノ/サブリナ・ヴァラーニ
制作: ファブリツィオ・ベンティヴォリオ

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://vittorio-hiroba.com

原題:L'orchestra di Piazza Vittorio
2006/イタリア/90分/35mm/1.85ヴィスタ
配給:オンリーハーツ