いのちの食べ方
OUR DAILY BREAD

2007年11月、渋谷シアター・イメージフォーラムほか、全国順次ロードショー


■ドキュメンタリー
ナレーションも音楽もなく、カメラはひたすら肉、野菜、魚、果物が生産される現場を追い続ける。
知っているようで、実は知らない、現代の食料生産事情。私たち日本人が1年間に食べる肉(牛・豚・鳥)は約300万トン。だれもが毎日のように食べている膨大な量の肉。でも、そもそも肉になる家畜は、どこで生まれ、どのように育てられ、どうやってパックに詰められて店に並ぶのか?

そんな私たちの生とは切り離せない「食物」を産み出している現場の数々を描いたドキュメンタリー。世界中の人の食を担うため、野菜や果物だけでなく、家畜や魚でさえも大規模な機械化によって生産・管理せざるをえない現代社会の実情を、オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督がおよそ2年間をかけて取材・撮影。

 




 





       

■インタビュー:プロダクション・ノートより

僕の作品では、ふつう移動撮影にインタビューシーンが含まれています。しかし今回の場合は、ただ映像だけで作品として成り立つ場面が使われています。いつもは空っぽの空間で働いて、勤務中はほとんど会話もしない人々の映像を。
ちなみに、最初何回かインタビューもしたのですが、ヴィダーホーファーが編集している時、インタビューを入れると、この作品の受け止められ方が本来意図したものでなくなってしまうと気付きました。それでもっとしっくりくるシーンの撮り方をしていこうと決めたのです。方法論としては、先に実際の勤務環境を見せ、その後で何かを想像させるために必要な「間」を持たせようしています。 観客にはただこの世界に飛び込んで、自分なりの受け止め方をしてほしいと思います。


取材の多くは、ヨーロッパ各地で行いましたが、この作品にとって、どこでヒヨコを生産しているかとか、毎年何匹の子豚が解体されているかということはあまり重要な点ではありません。それはテレビやジャーナリストの仕事です。それに最近は特に、情報過多で物事が単純になり過ぎています。せっかく興味が湧いてもすぐ面倒臭くなり単純な見方をしてしまいがちです。そうすると、日々世間を騒がすニュースとさほど変わらなくなり、僕たちの世界観までぼやけてしまいます。
この作品は、いろいろな見方ができますし、イメージや音を感じられる「時間」もあります。そして、ふだんは無視されているような、僕たちの食べているものがどこで作られているか考えることも出来るのです。

この作品では出来るだけ客観的な視線で物事を捉えたかったのです。 僕が特に興味を持つのは、「なんでもかんでも機械で出来る」という感覚や、そういった機械を発明しようという精神、それを後押しする組織です。それは、とても怖い感覚で、無神経でもあると思います。
そこでは、植物や動物も製品同様に扱われ、産業として機能させていくことが、非常に重要になっています。
一番重要なことは、いかに効率よく、低コストで、動物が生み育てられ、数を保たれているかです。
誰も自分が幸せかどうかなんて考えてはいません。 それをスキャンダラスと言うなら、もう少し深く考えてみるべきで、僕たちの暮らし方もスキャンダラスということになります。
この経済的に豊かで、情け容赦ない効率化は、僕たちの社会とも密接に関わっています。 「有機栽培の製品を買い、もっとお肉の量を控えなさい!」というのは間違いではありません。 でも、同時にそれは矛盾していると思います。誰もが皆、機械化に頼って国際化した産業の恩恵を受けています。 そして、これは食べ物の世界に限ったことではありません。

       
 




       

このタイトル(日々の糧)は文化的な歴史と関係があり、人々がいかに天然資源や生き物を扱っているかを考えると、この宗教的な雰囲気のせいでより荒々しい効果がでると思いました。
僕は、いつも先の先まで考えてしまいますが、次に出てくる言葉は多分、「主よ、私たちの罪をお許し下さい。」だと思います。 これは、ひときれのパンを稼ぐために、どうやって仕事をこなしていくかということを、まだ人々が考えていた頃の事も表していますが、それがいかに変わってしまったかということも。今、誰が機械を操作しているか想像できるでしょうか?
誰が生産工程を仕切って、素手で土地を掘ったり、キュウリを採ったりしていると思いますか?どうやって僕たちが食べるひときれのパンは世界に分配されているのでしょう?

 
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原題は「日々の糧」。「主よどうか私たちに日々の糧をお与えください・・・」という、日々、あるいは主日礼拝で祈られる言葉です。
食の不安や、健康志向が注目される今日、このドキュメンタリーは食の生産プロセスを知る上で貴重な作品となっています。
目を覆うような映像を見せられるようなこともなく、シンメトリックな構図は全体に秩序と客観性を与えています。写真家のアンドレアス・グルスキーを思わせるような画面作りは、生き物や食べ物をより静的で、工業製品のような印象をもたせるものとなっています。
アート作品に解説がないように、この作品もナレーションはなく、その受け止め方は観る人の想像力にまかされています。アート的な手法を用いることで、作品に普遍性を与えることに結び付けているようです。 (JS)










■監督::ニコラウス・ゲイハルター
1972年オーストリア・ウィーン生まれ。1994年に自身の制作会社「ニコラウス・ゲイハルター・フィルム・プロダクション」を設立。編集のウォルフガング・ヴィダーホーファーらとともに、作家性の強いTVや映画のドキュメンタリーを中心に製作。国際的な映画祭などでの受賞歴も多い。他にもチェルノブイリ原発や、世界中の未開の文明を取材した作品などがある。「いのちの食べかた」は、初の日本公開作品となる



■スタッフ
監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
Nikolaus Geyrhalter
編集:ウォルフガング・ヴィダーホーファー
Wolfgang Widerhofer
脚本:ウォルフガング・ヴィダーホーファー、ニコラウス・ゲイハルター
録音・整音:ステファン・ホルツァー、アンドレアス・ハンザ ほか
リサーチャー:デイヴィッド・バーネット ほか・

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi

原題: OUR DAILY BREAD (日々の糧 Unser taglich Brot)/
92分/ドイツ・オーストリア/35mm/カラー/ビスタ/SRD
配給:エスパース・サロウ