PEACE BED アメリカVSジョン・レノン
THE US VS JOHN LENNON

2007年12月8日(土)より TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて全国公開!


■ドキュメンタリー
  1971年12月10日、ミシガン州アナーバー。大麻所持で10年の懲役刑を受けた詩人ジョン・シンクレアを支援するためのコンサートにジョン・レノンとオノ・ヨーコがゲスト出演した。全米に生中継されたこのコンサートによって、ジョンはニクソン政権にとって"政敵"と見なされるようになる。。

 「ビートルズはイエス・キリストより人気がある」という、ジョンの発言は、物議を醸していた。米国内、特に南部ではレコードを焼却する騒動が至る所で起き、ラジオ局はビートルズの曲の放送が禁止に。それでもジョンは信念を曲げず、何者に対しても確固たる意思を持って対峙する。その強さは次第に世界平和への願い、反戦活動へと傾倒していくことになる。

 ベトナム戦争が泥沼化していた68年、ビートルズが「レボリューション」を発売したころから、友人やジャーナリストらは"ジョンの進化"を感じるようになる。そして、ヨーコとの出会い。2人は新婚旅行で訪れたアムステルダムで、「ベッド・ピース、ヘア・ピース」と掲げ、ベッドの中だけで過ごすことで反戦を唱え、平和を訴える。

 

 


■キャスト
オノ・ヨーコ
ジョン・ウィーナー
ロン・コーヴィック
アンジェラ・ディヴィス
ジョン・シンクレア
タリク・アリ
ボビー・シール
 





       

 

 米政権がジョンソンからニクソンへと変わり、ベトナムからの撤退加速宣言が出されても惨状は改善されず、ジョンは自費で「WAR IS OVER」というポスターを世界12都市に掲出。平和への願いを記事にしてくれるよう、ニューヨーク・タイムズ紙に直談判するなど、直接的な行動に出るようになった。そして、「イマジン」の発売がジョンの活動を後押しし、全米へと波及していった。
 それはニクソン政権にとっても脅威となり、当時のFBI捜査官もジョンを監視、盗聴していたことを認めている。さらに、ジェリー・ルービン、アビー・ホフマンら急進的な活動家と親交を深めた。

 そのころ、ジョンは友人に「ヨーコと僕に何かあれば、それは事故ではない」ともらしている。米移民局は72年3月、ジョンとヨーコに国外退去命令を出す。理由は、ロンドンでの大麻所持による逮捕歴。それでも、ジョンはでっちあげによる不当逮捕だったことを訴え、徹底的に闘うことを宣言。その姿勢はさらに米国民をはじめとする全世界に影響を与え、ジョンへの支持を広げる結果となった・・・。

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■MAIN CAST
オノ・ヨーコ
アーティスト。1960年代に、フルクサスに参加。1966年11月、ロンドンのインディカ・ギャラリーでの個展でレノンに出会う。レノンは、梯 子を昇った上に、天井に書かれた「YES」の文字が書かれた作品に惹かれた。1969年3月、ジブラルタルで結婚。
ジョンは、「イマジン」の歌詞がヨーコの著書『グレープフルーツ』に大きな影響を受けていることを明かしている。ジョンとともに多くの 楽曲を制作し、平和活動を行った。

ジョン・ウィーナー
カリフォルニア大学アーヴィン校の歴史学教授。ジョン・レノンのFBIファイル公開を求め、裁判で闘い続けた。『ジョン・レノンの真実』の 著者。この物語の多くを占める資料は、彼の功績によるところも大きい。

ロン・コーヴィック
ベトナム戦争から帰還した元海兵隊軍曹としての経歴を持ち、その経験を自伝『7月4日に生まれて』にしたためた。自伝はオリヴァー・スト ーン監督と共作で映画化され、脚本はゴールデン・グローブ脚本賞を受賞。ベトナム復員兵の中でもっとも有名な平和活動家の一人。ジョン とは直接のかかわりはないが、この映画の中で鋭い考察力を持つ彼の意見は深く、ジョンのストーリーをより客観的に分析している。

アンジェラ・ディヴィス
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの曲「アンジェラ」の主人公。カリフォルニア大学サンタクルーズ校の教授。1969年、アメリカ共産党のメン バーになり、社会運動をしたことで教壇を追われる。1970年、冤罪でFBIの10大重要指名手配者リストに名が挙がり、後にアメリカ現代史で最 も有名な裁判のひとつを闘う。

ジョン・シンクレア
ジョン・レノンの曲「ジョン・シンクレア」の主人公。詩人。ロックバンドMC5のマネージャーをしていたこともある。ホワイトパンサー党の委員長だった期間もあった。おとり警官にマリファナタバコを2本売ったかどで、1969年に収監される。ジョン・レノンがこの曲をコンサートで歌った3日後、釈放された。

タリク・アリ
政治活動家、作家、編集者、映像作家、歴史学者。祖国パキスタンで学生時代に国の軍事独裁を抗議する集会を組織。イギリスに移り、有名な反戦活動家となり、ヘンリー・キッシンジャーやイギリスの外相マイケル・スチュワートと公の席で議論を交わしたこともある。

       


■INTERVIEW

デヴィッド・リーフ
長いこと撮りたかった映画。間違いなく忘れられていた話だ。あの時代をともに生き、レノンの事件について知っていた人たちの多くも、しばらく思い出したことがなかったと思う。それ以降に生まれた人たちには、おそらく知られていない話だろう。40歳以下の人たちが知っているジョン・レノンといえば、ビートルズのメンバーだったこと、学校で合唱する『イマジン』の作者であること、そして殺されたことぐらいだ。
彼がいかに勇気を持って人生を生きたかとか、彼とヨーコがいかなる気概をもって信念を貫いたかを、本当に理解してはいないだろう。

ビル・メイハーやディクシー・チックス、その他の有名人が戦争や大統領に対して意見を言ったときに何が起きたかを目の当たりにした。それで35年前のレノンの事件を語ることで、今のアメリカにも関連性のあるドキュメンタリーができると思った。

製作にかかったころは、起きたことは知っていても、それにまつわる詳しい事情までは知らなかった。なぜアメリカ政府はジョン・レノンを標的にしたのか? なぜ彼を脅威だと思ったのか? ジョン・レノンの発言がそんなに危険だったのか? ジョン・レノンに起きたことから何を学ぶべきか? この映画は、ひとつの冒険物語だ。ひとりの有名人が自分の名声を使い世界に向けて平和運動を始めたとき、一体何が起きたかということのね。

ジョン・シャインフェルド
当時のアメリカの社会的、政治的、文化的な背景、そして、レノンがあの立場を取ったときに踏み込むことになった状況を描き出す必要があった。



 
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1980年12月、世界中に衝撃を与えたジョン・レノンの訃報。当時、アルバム、ダブル・ファンタジーを買いに走ったのを覚えています。
なぜ彼が殺されたのかは、現在でもなぞが残っています。政権とは関係なく、当時、その言動が世界に最も影響力のあるアーティストだったからです。
元FBI捜査官の証言は、当時のアメリカ政府が彼らをどう見ていたかをクリアに語っています。ここに見えてくるのは、当時と変わらない現在のアメリカそのものなのかもしれません。
この作品には、世界を変えようと闘ったひとりのアーティストの魅力と闘いぶりが記録されています。(JS)








■スタッフ
監督・製作・脚本:デヴィッド・リーフ&ジョン・シャインフェルド
エグゼクティブ・プロデューサー:サンドラ・スターン、ケヴィン・ベッグスほか
撮影:ジェームズ・マザーズ
編集:ピーター・S・リンチ2世
監修:オノ・ヨーコ

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://www.peacebed-johnlennon.com/

2006年/アメリカ/モノクロ・カラー/35mm/ドルビーSR・DTS/99分/
原題: THE US VS JOHN LENNON
日本語字幕:関美冬
日本版監修:オノ・ヨーコ
字幕監修:ザ・ビートルズ・クラブ
配給:ザナドゥー

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