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中国の植物学者の娘たち
LES FILLES DU BOTANISTE

2007年12/15(土)より、
東劇、梅田ピカデリーほか、全国ロードショー


■ストーリー
1976年の唐山大地震で両親を亡くし孤児院で育てられたミン。ある日、大学の植物学者、チェン教授のもとに実習生として赴くことになる。
湖に浮かぶ小島にできた植物園に到着するなり、教授は、なんで時間を守らないんだとミンを怒る。娘のアンは同じ年頃のミンを温かく迎え入れる。落ち込んだ彼女を慰めるアンもまた、10才で母を亡くしてから、厳格な父と二人きりで孤独な暮らしを送ってきたのだった。
濃い緑が生い茂る孤島のような生活の中、似たような境遇のミンとアンは次第に心を通わすようになる。

 


■キャスト
ミレーヌ・ジャンパノワ
リー・シャオラン
リン・トンフー
グエン・ニュー・クイン
 



       

 

 ある日、軍人である兄、タンが島に戻ってきた。教授は息子にミンを嫁にもらうよう勧める。すっかりその気になったタンは、ミンへのプロポーズの手紙を書き、妹に読み聞かせる。しかし何も知らない兄の一方的な態度に怒ったアンは、ひとり家を出て寺へ駆け込み、泣き明かす。
翌日、ミンが迎えにきてアンに誓う──「あなた以外は誰も愛さない」。そして二人は、一生、離ればなれにならないよう願いをこめた108羽のハトを、大きな空へと放つのだった。そしてアンはミンに秘密の提案をする・・・。

 

※   ※   ※


       
 






       


■プロダクション・ノートより

作品名のアイデアは?
中国の新聞に出ていたある三面記事からヒントを得ました。同じ工場に勤める二人の若い女性が同性愛者で、どちらかの父親の殺害容疑で死刑を宣告されたという事件です。

事件のどこに惹かれたか?
『小さな中国のお針子』が文化大革命についての映画ではなかったのと同じように、この作品も同性愛をテーマにしていません。二人の人間の愛のお話で、その二人は女性同士だったということです。わたしは二人の関係を批判しているのでもなく、覗き見しているわけでもありません。

映画の舞台を1980年代に設定したわけは?
あくまで背景としての1980年代であり、物語の展開を助けていますが、それよりもこの話は今でも起こりうる話なのです。舞台が中国である必要もないし、現在のパリやニューヨークでもよかったわけです。大切なのは人間関係です。


 
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同性愛をひとつのモチーフにしながらも、それほど気にならないのはミレーヌ・ジャンパノワの中性的な美しさかも知れない。それに、緑の楽園のような環境と風景、エリック・レヴィの音楽が全体を美しく包んでくれるよう。
中国では同性愛はかなりタブー視されているという。この作品を観て感じる人とそうではない人に分かれるのではないか。感じることのひとつは、「わたしをうけとめてくれている」だと思う。 (JS)








■監督・脚本:ダイ・シージエ
1954年、中国・福建省で医師の両親のもとに生まれる。文化大革命によって17歳から3年間、再教育に送られた。革命後の84年、政府給費留学生としてパリに渡り映画に目覚め、パリ高等映画学院IDHECに入学。
89年に長編第一作『中国、わがいたみ』を発表。カンヌ国際映画祭、ジャン・ヴィゴ賞を受賞。 2000年1月にはフランス語で書いた小説「バルザックと小さな中国のお針子」(ハヤカワepi)で作家デビュー。フランスでは約40万部のベストセラーを記録。『中国の小さなお針子』(02)を自らの手で監督。
03年には小説長編第二作「フロイトの弟子と旅する長椅子」(ハヤカワepi)を発表し、フランス5大文学賞のひとつ〈フェミナ〉賞を受賞。07年1月には、失われた古書をめぐる新作小説“Par une nuit ou la lune ne s’est pa levee”(月がのぼらなかった夜に)を発表。


■スタッフ
監督:脚本ダイ・シージエ
オリジナル音楽:エリック・レヴィ
撮影監督:ギイ・デュフォー

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://www.astaire.co.jp/shokubutsu

2005年/カナダ・フランス/カラー/スコープサイズ/98分
字幕翻訳:遠藤壽美子
原題:LES FILLES DU BOTANISTE
配給 アステア

(C)2005 SOTELA ET FAYOLLE FILMS ? EUROPACORP - MAX FILMS - FRANCE 2 CINEMA