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アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生
ANNIE LEIBOVITZ:LIFE THROUGH A LENS

2008年2月16日(土)シネマGAGA!、シネカノン有楽町2丁目他全国順次ロードショー


■ドキュメンタリー
  アニーは、集大成となる写真集を作ろうとしていた。ハドソン川沿いの納屋を覆いつくす、膨大な数のセレブリティの写真と家族の写真。父が米国空軍に勤めていたので、アニーが幼い頃のリーボヴィッツ家は、基地を転々と引っ越した。家族写真を撮るのが大好きだったモダン・ダンサーの母の影響で、1967年にフィリピンに移ったとき、アニーは初めて自分のカメラを買う。その後、サンフランシスコの学校で、本格的に写真を学んだ。

 1970年、アニーはボーイフレンドの勧めでローリングストーン誌編集部を訪ねる。この雑誌から、アニーの輝かしいキャリアが始まった。最初の大仕事は、ジョン・レノンのインタビュー。アニーは必死で懇願してこの仕事を得た。無名のアニーに優しく心を開くジョンとの出逢いが、彼女のその後の生き方を決定付ける。
1975年、アニーはローリング・ストーンズのツアーに完全密着し、誰も見たことのないバックステージをとらえる。

 1977年、メジャーな雑誌へと成長したローリングストーン誌は、ニューヨークへ移る。マンネリに陥っていたアニーは、出版デザインでカリスマ的存在のビア・フェイトラーに師事する。彼女からミュージシャンを並べて撮っただけの写真を「とんだ大失態」と叱責されたアニーは、写真のコンセプトを考え始めた。何千本ものバラの上に寝そべるベット・ミドラー、顔を青くペイントしたブルース・ブラザース。

 


■Interview with
アニー・リーボヴィッツ
オノ・ヨーコ/デミ・ムーア/キース・リチャーズ/
アナ・ウィンター/ヒラリー・クリントン/
ミック・ジャガー/アーノルド・シュワルツェネッガー
ウーピー・ゴールドバーグ/パティ・スミス/
ミハイル・バリシニコフ/ベット・ミドラー/
ロザンヌ・キャッシュ/マーク・モリス・・・ほか
 




(C)2007 by Annie Leibovitz



       

 

 初めて会ってから10年、アニーの活躍をジョンとヨーコは「親のように誇りに思ってくれた」と言う。長い主夫生活の後、久しぶりにニュー・アルバムをリリースしたジョンの撮影中に、即興的なやり取りから黒いセーターとジーンズを着たヨーコに全裸でしがみつくジョンの写真が生まれた。二人の絆を表現した感動的な写真を撮った数時間後、アニーのもとに衝撃的な報せが届く。ジョンの最後の一日を永遠に留めたこの写真は、ローリングストーン誌の表紙を飾り、伝説の一枚となった。

 アニーに、ヴァニティ・フェア誌への移籍という新たなチャンスが訪れる。ファッションには興味がなかったが猛然と勉強し、幅広いジャンルのセレブリティにレンズを向けた。その結果、アニーはセレブたちの思いがけない一面を引き出した。なかでもセンセーションを巻き起こしたのは、妊娠したデミ・ムーアのヌード写真。
  どんな高名なセレブリティでも、アニーが撮るなら、すぐにスケジュールをあける─今やアニーはそんな存在になった。そんな仕事一筋のアニーに変化が訪れた。「突然子供が欲しくなったの」50歳を過ぎてから出産したことを、楽しそうに語るアニー。

 写真集のためのセレクトに余念がないアニーの指が、一枚の写真の上で止まる。強く自由に生きてきた人生を振り返ったアニーは、最後に最愛の人との別れを、ありのままに語ろうとしていた・・・。

※   ※   ※


       
 




(C)2007 by Annie Leibovitz
       


■プロダクション・ノートより

スーザン・ソンタグ Susan Sontag

 「写真論」の著者。2004年、その訃報は世界各国に流れ、人々はアメリカの知性がまた一つ失われたと嘆いた。アメリカを代表する知識人の一人で、批評家、小説家、映画監督として活躍。
1933年、ユダヤ系アメリカ人としてニューヨークに生まれた。
  ソンタグの評論は、写真、美術、文学、映画、政治、戦争と実に幅広く、社会に大きな影響を与え続けた。作家は「黙考する者」だとして、常に深い思索を自分に課すと同時に、この眼で見たことがない事柄について批評してはならないと、世界中を飛びまわった「行動派」でもあった。

 ソンタグは、 幼い頃から成績優秀で、飛び級をして15歳でカリフォルニア大学に入学する。シカゴ大学、ハーバード大学で学び、フランスに留学してパリ大学でも学ぶ。17歳の時に結婚して長男を出産、数年後には離婚。
  1963年、アメリカ文学界の新たなる旗手として注目される。1966年に出版した最初の評論集「反解釈」は、既存の批評を批判するという攻撃的な内容で、センセーションを巻き起こす。1968年にハノイに渡り、「ハノイで考えたこと」を出版、ベトナム戦争反対の活動でも知られる。それから40年近くもの間、世界で何か大きな出来事が起こるたびに、アメリカのみならず世界中が、彼女が何を書くか、どう語るかに注目するという存在になる。

 近年では、1999年に「すべての戦争が等しく不正なものなのでもない」とNATOによるセルビア爆撃を支持、このことをめぐる大江健三郎との往復書簡が朝日新聞に掲載され、日本でも話題を呼んだ。また、9.11では、ニューヨーカー誌に「これは文明や自由や人間性に対する攻撃ではない。自称“超大国”への攻撃だ」と書き、アメリカで物議を醸す。
  このようなソンタグの生き方が、決定的にアニーに影響を与えた出来事は、1993年のセルビア軍に包囲されたサラエボ行きだろう。この時、同行するよう誘われたアニーは、自分に何が撮れるか怖かったと語っているが、写真家としての新たな道を開くことになる。2001年にソンタグがオックスフォード大学で行った講演「戦争と写真」では、写真にできること、できないことが冷静にかつ熱く語られ、この体験でいかにアニーの人生が変わったかがうかがえる。
  アニー・リーボヴィッツとスーザン・ソンタグ──強く美しく、気高い2つの魂の稀有な出会いであった。



 
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女流写真家アニー・リーボヴィッツの人生のドキュメンタリー。
アニーは、学生時代、ロバート・フランクとカルティエ・ブレッソンの作品から写真を学んだという。スタジオ作品以外にその影響がみられる。ローリング・ストーン誌時代にミュージシャンたちに密着して撮った写真は、ロバート・フランクの作品がそうであるようにアメリカをそのまま映し出していた。
スターやセレブたちとの長い共同作業が、「アニーだったら、すぐにでもスケジュールを開けて撮ってもらいたい」と彼らに言わせるまでになる。
彼女にとって重要だったのは、2つの転機である。ひとつはビア・フェイトラーとの出会い。反戦運動をするという大物ミュージシャンたちをわざわざスタジオで撮ってしまった。これに対しビアは「とんだ大失態」と叱責。これをばねにアニーは大きく成長した。もうひとつは、スーザン・ソンタグに連れられて内戦下のサラエボに撮りに行ったこと。人との出会いが作品の存在に欠かせないことを教えられる。 (JS)








■監督・製作:バーバラ・リーボヴィッツ 
アニーの実妹。87年、CBSのニュース番組「48 HOURS」でキャリアをスタート。オーストラリア、アメリカでフリーの製作者として働く。
長編ドキュメンタリー・デビュー作『Salvaged Lives』(95)。パートナーであるハイメ・ヘルマンと共に、PBS、ディカバリー・チャンネル、ナショナル・
ジオグラフィック、CNN、TBSなどネットワーク局において、ドキュメンタリー作品の脚本、監督、製作に携わる。
近年の作品に、ナショナル・ジオグラフィック特番「The FBI」(03)、第二次世界大戦の元アメリカ人捕虜の一団の物語を記録したミリタリー・チャンネルの「Captive: P.O.W. Stories」(05)など。



■スタッフ
監督・製作:バーバラ・リーボヴィッツ
製作総指揮:ポール・ハーダート、トム・ハーダート、スーザン・レイシー
音楽製作:ジェームズ・ニュートン・ハワード
音楽:ゲイリ・ショーン
写真監督:エディ・マリッツ、ジェイミー・ヘルマン、バーバラ・リーボヴィッツ
編集:クリステン・ハントレイ、ジェド・パーカー

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://annie.gyao.jp/

英題:ANNIE LEIBOVITZ: LIFE THROUGH A LENS
2007年/83分/カラー/アメリカ
配給:ギャガ・コミュニケーションズpowered by ヒューマックスシネマ

Photographs(C)2007 by Annie Leibovitz


     


■History Of Annie Leibovitz

・1949年
コネチカット州ウォーターベリーに生まれる。 父親は空軍大佐、母親はモダン・ダンサー。幼少期を全米各地の軍事基地で過ごす。

・1970年
サンフランシスコ・アート・インスティチュートで絵画を勉強するかたわら、夜間授業で写真を学び、ローリングストーン誌の仕事を始める。 ジョン・レノンのカバーストーリーを自ら懇願して掴む。

・1973年
ローリングストーン誌のチーフ・フォトグラファーになる。

・1975年
ローリング・ストーンズのツアーの撮影を手掛け、一躍その名を知られる。

・1980年
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真をローリングストーン誌の表紙のために撮影。その数時間後にジョンが暗殺される。

・1981年
ローリング・ストーン誌を去る。

・1983年
復刊したヴァニティ・フェア誌に移籍。撮影対象をミュージシャンからセレブリティ全般に広げる。 最初の写真集「Annie Leibovitz: Photographs」を出版。

・1988年
GAPの広告キャンペーンを手がける。

・1989年
『写真論』で知られる作家のスーザン・ソンタグの著者近影を手がける。 この出会いの後、彼女の人生のパートナーとなる。

・1990年
ミハイル・バリシニコフとマーク・モリスの依頼で、ホワイトオーク・ダンスプロジェクトの記録を手がける。

・1991年
ヴァニティ・フェア誌の表紙を飾ったデミ・ムーアの妊婦ヌード写真が大論争を巻き起こす。 写真集「Photographs: Annie Leibovitz 1970-1990」を出版。

・1992年
ミハイル・バリシニコフをとりあげた短編映画『Zoetrope』を監督。 「アニー・リーボヴィッツ写真展」が、94年までにヨーロッパ10都市を巡回。

・1993年
スーザン・ソンタグと共にサラエボにわたり、戦地の人々を撮影する。

・1998年
ヴォーグ誌の仕事を始め、ファッション関連の仕事に携わる。「不思議の国のアリス」や「オズの魔法使い」といった物語をベースとした一連の写真を提示、絶賛される。

・2004年
スーザン・ソンタグ死去。

・2005年
過去40年間の40誌のトップカバーをまとめた米国雑誌編集者協会より、 1位(ローリングストーン誌のジョン・レノンとオノ・ヨーコ)と 2位(ヴァニティ・フェア誌のデミ・ムーアの妊婦ヌード)の両方を授与される。 米国議会図書館により“リビング・レジェンド”に指名される。

・2006年
集大成となる「A Photographer’s Life 1990-2005」を出版、ベストセラーを記録する。

・2007年
英エリザベス女王を撮影。元ソビエト連邦大統領ゴルバチョフ、カトリーヌ・ドヌーブをモデルに起用。

現在、3人の子供たち、サラ、スーザン、サミュエルと共にニューヨークに在住。
(プレス資料より抜粋して転載)