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ハンティング・パーティ
HUNTING PARTY

2008年5月10日(土)よりシャンテ シネ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー


■ストーリー
  ボスニア紛争終結5年後の2000年、サラエボ。記念式典の取材のため、5年ぶりにこの地に戻った戦場カメラマンのダック。彼の前に、かつての相棒で消息を絶っていたレポーターのサイモンが姿を現す。驚くダックにサイモンはぶう跳ぶようなネタがあるという。
そのネタとは、国連やNATO、CIAが探しているのも関わらず逮捕できない重要犯罪人フォックスの潜伏先の情報だった。
危険な生き方を封印し、何不自由のない生活を送っていたダックだが、戦友サイモンの再起をかけた心を思い、半信半疑ながら、彼のことばに乗る。一緒に来訪していた新米TVプロデューサーのベンは、驚愕のスクープで副局長の父親を見返したいという野心から、自分も連れて行けと主張する。

 


■キャスト
リチャード・ギア
テレンス・ハワード
ジェシー・アイゼンバーグ
ダイアン・クルーガー
 





       

 

 こうして、3人の男たちが、潜伏予想地、チェレピチを目指し、危険極まりない冒険に動き出す。
国連司令部のあるフォチャに到着した3人は、国連司令官のポリスに、CIAから派遣されたフォックス暗殺部隊だと思い込まれてしまう。ジャーナリストだと主張すればするほど身分を隠したCIAだと思われてしまう。困惑するベンとダックをよそに、サイモンは、スクープだけでなく、フォックスを捕まえて報奨金を獲る事を2人に明言する始末。「イカレテル」と呆れ、憤慨する2人。

 だが、サイモンの決意はいい加減なものではなかった。サイモンには、ボスニア紛争中、フォックスによる「民族浄化」という名の大虐殺で、妊娠中の恋人をレイプ、惨殺された辛い過去があった。彼は遺体を抱きしめた20分後の生放送で、浅はかな真実しか見ようとしない世の中にブチ切れ、スター・リポーターの座から転落する。そこから彼の地獄が始まった。

 サイモンへの不信感を募らせるベンを見かねて、ダックは、サイモンの悲劇を話し、「テレビに映る世界と本当に起きていることとは違う」と諭す。
世界の闇とサイモンの苦悩を知ったベンの沈黙を乗せ、車はチェレピチを目指すのだった・・・

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■プロダクション・ノートより

ジャーナリストのスコット・アンダーソンはボスニアから戻ってきたばかりで、そのときの体験が「私が夏休みにしてきたこと」というタイトルでエスクァイア誌に掲載されていた。そこにはボスニア紛争が終結して5年経った2000年の夏に、アンダーソンと4人のジャーナリストが体験したある出来事が書かれていた。
紛争中、ボスニアに滞在して戦場リポートを続けてきた仲間である5人は、再会すると全員で酒を飲み交わしながら、一晩中それぞれの体験を語り明かした後で、ひとつの馬鹿げたアイデアを思いついた。
「自分たちの手で未だ捕まっていないボスニア紛争の戦争犯罪人“ラドバン・カラジッチ”の行方を追ってみてはどうだろうか。」
5人のジャーナリストはセルビア人の警察官を無理やり引き入れて、カラジッチ追跡を開始する。そして、そこに本物のCIAが出現してしまう。

この記事を読んだ製作者のマーク・ジョンソンは、早速この話を映画化するべく脚本家を探し、リチャード・シェパードに企画を持ち込む。この時、シェパードは「私は戦争が終わった後の都市を舞台にした映画を作ることに興味を抱いていた。その記事はとても興味をそそられるもので、心を奪われた。そこで私は提案した。私をサラエボに行かせてくれないかって」
シェパードは自らボスに葉の土地を踏み、5人のジャーナリストがたどった道をなぞり、国連軍の兵士たちや戦争ジャーナリスト、ボスニア紛争の生存者たちの話を積極的に聞きだした。この映画を、血なまぐさい戦争の後が残るある国を舞台に、ジャーナリストたちが経験したさまざまな出来事を描きつつ、歴史の勉強でも政治論文でもなく、3人の主人公がそれぞれ自分を発見するエンタテイメント・ムービーに仕上げるのがシェパードの意図であった。


 
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ボスニア紛争の中、ジャーナリストたちの実話をもとにした作品。 サラエボ市内は、傷跡を修復してきたものの、街並みに今も戦禍の跡が生々しく残っていることが伺える。
悲惨極まりない状況が、ほんのわずかな人間たちで作り出されてしまうことがわかる。(JS)








■監督・脚本:リチャード・シェパード
1967年生まれ。ニューヨーク出身。ニューヨークの映画学校に入学後、脚本家、監督として6本のインディ映画を製作し、大手映画会社の依頼で多くの脚本を執筆。1998年に「恋人たちのキャンパス」(98)でマーク・マリンと共同監督を務めて監督デビュー。『ニューヨーク恋泥棒』(91)の共同執筆と監督を担当。「Mercy」(95)、「N.Y.少女異常誘拐」(96)、「人質」(99)。「トラフィック・オブ・メキシコ」(00)、2001年にはサンダンス映画祭ドラマ・コンペにビリー・モリセット監督の「Scotland,Pa.」(01)を製作して出品。2005年にはピアース・ブロスナン、グレック・キニア、ホープ・デイビス主演の「The Matador」(05)の脚本と監督を務め、ブロスナンはこの映画の演技でゴールデン・グローブ賞最優秀男優主演賞のノミネートを受けた。最近では特にTV界での活躍が目覚しく、ABC製作の「Ugly Betty」(06)。同作品でエミー賞監督賞も受賞。



■スタッフ
監督・脚本:リチャード・シェパード
原案:スコット・アンダーソン 「夏休みに私がしたこと」(「Esquire」US版より)
製作:マーク・ジョンソン、 スコット・クルーフ
撮影:デヴィッド・タッターサル
音楽:ロルフ・ケント
美術監督:ヤン・ロールフス
衣装デザイン:ベアトリス・パッツアー

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://www.huntingparty.jp/index.html

(C) 2007 IM Filmproduktions GmbH All Rights Reserved

2007/アメリカ/カラー/シネマスコープ/SRD/103分/
原題:THE HUNTING PARTY
字幕翻訳:戸田奈津子
ノベライズ:扶桑社/
配給:エイベックス・エンタテインメント
第64回ヴェネチア映画祭 正式招待作品