■イレイザーヘッド デジタル・リマスター版
Eraserhead
伝説の映画『イレイザーヘッド』のフィルムに13万枚もの画像修正を加え最高品質の映像とサウンドを実現させたデジタル・リマスター版。
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■ザ・ショートフィルム・オブ・デイヴィッド・リンチ
The Short Films of David Lynch
解説:デイヴィッド・リンチ本人による
■SIX MEN GETTNG SICK
1967/16mm /カラー
ペンシルベニアの美術学校に通っていた時のことだ。毎年、学年末に自由課題の絵画や彫刻のコンテストがあった。ある年のこと、私は黒地を課題として、庭の絵を…緑色の庭を描いていた。黒地のバックから緑の植物が現れるんだ。分かるかな、深緑が黒地から出てくるんだ。絵を凝視している時、風の音が聞こえ、絵が微妙に動くのを感じた。この時ひらめいたんだ。動く絵に音をつけたらどうなるかって。そこで造形されたスクリーンに動画を映写させるアイデアを、自由課題のコンテストに出した。そこで2畳ほどの大きさのスクリーンを作り、そこに私が制作した1分ほどの動画を映写させ、サイレンをループした音も一緒に鳴らした。
■THE ALPHABET
1968/16mm/カラー
あの頃、私はフィラデルフィア出身のペギー・ランツと結婚していた。彼女も美術専攻の学生だった。とても美しい女性だ。歌も絵も上手だった。彼女が両親の所へ行ったとき、そこに姪がいた。真っ暗な部屋にある小さなベットに寝ていて、悪い夢を見たらしい。寝言でアルファベットを復唱していた、とペギーから聞いた。それがきっかけで思いつき、アルファベットを課題として取り上げた。ペギーの姪の悪夢から、アイデアが浮かんだんだ。
■THE GRANDMOTHER
1970/16mm/カラー
最初の脚本は、難解で凝縮されたものだった。脚本の形式など持たず、文章がずらっと並んでいるだけ。いくつかの文節に分かれている。映画のシーンみたいに。そして友達のブシュネルが僕の人生を一転させた。ブシュネルと奥さんのトッツィーから、アメリカ映画協会の存在を知らされ、ワシントンに本部があることも知った。そして奨学金を授与するプログラムがあり、申し込め、と薦められた。条件は自分が制作したい課題の、試作品と脚本を提出すること。奨学金は四半期ごとに募集しているので、前期に申し込んだグループがいる。待っている間に、最初の受賞者たちが決まった。経験豊富なアンダーグラウンドのフィルムメーカー達だ。その時、僕にチャンスは無いと思った。ある雨の午後、電話が鳴った。電話は毎日鳴るが、その時の音を覚えてる。この電話が、僕の人生を変えた。映画制作の奨学金が、授与された。
■THE AMPUTEE
1973/ビデオ/モノクロ
1973年の事だ。イレイザーヘッドを撮り始めて約1年、予算が底をついてひどく落ち込んでた。ある午後、フレッドが僕の離れに来て、試験撮影の話を持ち込んだ。2種類のモノクロビデオテープをテストし、良い方をAFIが購入する為だ。AFIがビデオを購入することを聞き、とても悲しかった。学校の名前が、変わるんじゃないかと。フレッドを見つめ、アイデアが浮かんだ。彼に聞いた。“何を撮ってもいいのか?”彼は、“何を考えてる?”私は、“同じものを2回撮る。別々のテープで2回。テストになるよ”。彼は、“悪くないね”。そこで僕は、“明日までに何か書く”。オーケーが出た。
■THE COWBOY AND THE FRENCHMAN
1987/35mm/カラー
この作品は、『ブルーベルベット』の後に作った。パリ旅行がきっかけとなった。トスカン・デュ・プランティエと夕食を共にしたレストランで、彼からテレビ番組に参加しないかと誘われた。“外から見たフランス人”みたいな構想だ。6人の監督が候補に上がっていた。私もその一人だった。でもアイデアが全くなかったから、悪いけど断った。夕食の後レストランからホテルへの帰り道、アイデアが浮かんだ。ホテルに着いて、彼に電話した。“アイデアが浮かんだ。君に内容を話したい”。そして内容を話した。彼は、“異文化の合体だ”だってさ。
■LUMIERE
1995/35mm/モノクロ
映画が100周年を迎えた頃、フランス人が出したアイデアだ。彼はオリジナルのカメラを、複数持っていた。オリジナルの感光乳剤の製法も知っていた。そこで昔の硝酸塩の代わりにアセテートを使って、乳剤を作った。この感光乳剤を使い、35ミリフィルムを製造。だがこのフィルムは、1コマに1穴しかない。カメラは木材・金属やガラスで作られていて、クランクが付いてる。フィルム入れは、17mのフィルムしか入らない。このカメラを世界中の監督数人に渡し、映画を作らせる。厳しい条件でね。テイクは最高3回。自然の光を使う。効果音は使わない。撮影を止めない。一度撮り始めたら、途中で止められない。これらが条件だ。世界中の人達が、リュミエール兄弟のカメラで撮影経験が出来るんだ。