クララ・シューマン 愛の協奏曲
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■キャスト クララ・シューマン:マルティナ・ゲデック ロベルト・シューマン:パスカル・グレゴリー ヨハネス・ブラームス:マリック・ジディ ヴァジレフスキー:ペーター・タカツィ タウシュ:ベラ・フェストバウム ベルタ:ブリギッテ・アネシー ヘンリエッテ:クリスティーネ・エスターライン リヒャルツ:ヴァルター・タイル |
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その頃から、ロベルトの持病である頭痛が悪化の一途を辿り始める。指揮はおろか、交響曲「ライン」の作曲さえままならない夫の一大事を救わんと、クララは指揮者として楽団員の前に立つ。「女性の指揮など前代未聞」「世の笑い者だ」との嘲笑にも耳を貸さずタクトを振り続けるクララは、コンサートマスター、タウシュの意に反して、たちまちオーケストラから見事な演奏を引き出した。 そんなある日、シューマン邸を思いがけない来客が訪れた。ヨハネス・ブラームスだ。逆立ちを披露し、たちまち夫妻の子供たちの人気者になるヨハネス。こうして、シューマン一家とヨハネスとの奇妙な同居生活は始まった。
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ヘルマ・サンダース=ブラームス監督 インタビュー ヨハネスに関して伝え聞いた事実などはありますか? 女性監督として数々の女性を描き、その心情を繊細に表現してこられましたが、この作品ではクララをどのように描きたかったのでしょう?
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■脚本、監督:ヘルマ・サンダース=ブラームス 1940年、ドイツ、エムデン生まれ。ヨハネス・ブラームスの叔父から連なるブラームス家の末裔に当たる。ハノーファーにあるニーダーザクセン音楽演劇大学で2年間学ぶ。1962年から1965年まではケルン大学にて演劇学、英語英文、独語独文を学ぶ。1965年から1973年までWDR局(西ドイツ放送局)でラジオやテレビのアナウンサーとして働き、様々な写真家と出会う。その後ローマでセルジオ・コルブッチ監督や ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の下で聴講生となり、1967年に終了する。1968年からWDR局のローカル番組で初めて自分の担当を持つ。その中で唯一現存するのは1969年に行った、ウルリーケ・マインホフへのプライベート・インタビューである。映画作品では『ドイツ・青ざめた母』(80)が各国の映画祭で観客賞を受賞。『エミリーの未来』(84)、『林檎の木』(92)など。 ■スタッフ 脚本・監督:ヘルマ・サンダース=ブラームス 撮影:ユルゲン・ユルゲス(BVK) プロダクションデザイン:ウーヴェ・スツィラスコ アートディレクター:イシュトヴァーン・ガランボス 衣装:リッカルダ・メルテン=アイヒャー 音声:ヤーノシュ・チャーキ(H.A.E.S.) 編集:イザベル・デヴィンク プロデューサー:アルフレート・ヒュルマー 音楽:ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス |
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原題:Geliebte Clara |
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