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セラフィーヌの庭
Séraphine

2010年8月7日(土)、岩波ホールほか全国順次公開


■ストーリー
 1912年、フランス、パリ郊外サンリス。家政婦として生計を立てていたセラフィーヌは、人を寄せ付けず、草木や花々に話しかけ、部屋にこもって黙々と絵を描く日々を送っていた。
  幼いころから貧しかった彼女は、植物などの自然界から絵の具を作り、どうしても作れない白い絵の具は店からつけで買っていた。

 ある日、彼女の働く家に、ドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデが、妹アンヌ・マリーとともに引っ越してくる。
  ウーデがひとり部屋で泣いているのを見たセラフィーヌは、ウーデに「悲しい時は田舎に行き、樹に触るといい。植物や動物と話すと悲しみが消えるから」と伝え、自分が作った“スタミナ酒”を勧める。ウーデはそんなセラフィーヌを、徐々に気にかけるようになっていく。
   

 


■キャスト
ヨランド・モロー
ウルリッヒ・トゥクール
アンヌ・ベネント
ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ
ニコ・ログナー
アデライド・ルルー
セルジュ・ラヴィリエール
フランソワーズ・ルブラン
 






       

 

 家を管理する女主人が、芸術愛好家を招いて食事会を開いた。同席したウーデは、部屋の隅に置かれたセラフィーヌの絵に気がつき、衝撃を受ける。ウーデはそのころアンリ・ルソーなどの展示会を企画していた。セラフィーヌの絵の価値を認めない女主人とは反対に、ウーデは彼女に描くことを強く勧めた。最初、セラフィーヌは自分がからかわれていると思い、耳をかさなかったが、援助を申し出るウーデの言葉に心はしだいに動かされていく・・・

※   ※   ※

 

       
 







       


■プロダクション・ノートより


■ヴィルヘルム・ウーデ
画商というより、収集家の側面が強かったヴィルヘルム・ウーデは、1900年代のパリの前衛美術にとって欠かせない人物であった。特に素朴(ナイーヴ)派(ウーデ自身は“モダン・プリミティブ”派という表現を好んだ)の画家たちのために、多大なエネルギーと財産を捧げたことで知られ、1929年にパリで彼らの作品を集めた展覧会を開催した際には、“聖なる心の画家たち”とも名づけた。
プロシアの中産階級の家に生まれたウーデは、まず法学を学んだ。その後フィレンツェに旅した際、自身の存在を根本的に覆すような衝撃を受ける。1903年、変容し続ける芸術の最も近くに身を置くため、パリに居を構える。
ウーデは、間もなくドイツ人コミュニティのリーダー的存在となり、彼らがよく集まっていたカフェ・ドームでの中心人物となった。

芸術的探求を通して、彼は間もなく、税官吏アンリ・ルソーの絵のきわめて革新的な性質と、その可能性を察知した。ウーデは、アンリ・ルソーの作品を最初に購入した人物であり、いち早く彼に関する論文を書き、1911年“税官吏、アンリ・ルソー”という本を上梓した。ブラックやロベール・ドローネーの友人であり、ピカソとも深い親交があった。彼の同国人で当時若手であったダニエル=ヘンリー・カーンワイラーに、スペイン人画家ピカソのアトリエ(洗濯船)をを訪ねるように勧めたのもウーデであり、後に20世紀最大の画商となるカーンワイラーの運命を確固たるものとするきっかけともなった。

■マルタン・プロヴォスト監督インタビュー
Q:セラフィーヌ・ルイとの最初の出会いは?そして興味をもった理由はなんですか?

ある日、フランス・キュルチュール(フランスの公共ラジオ放送の文化専門局)のプロデューサーをしている友人が、謎めいた様子で私に「マリタン、あなたなら絶対にセラフィーヌ・ルイに興味をもつと思うわ」と言われました。
私はその名前に聞き覚えがなかったので、彼女が何を言わんとしているのかわかりませんでした。その友人は重ねてこう言いました。探してみなさい。理由がわかるから」と、インターネットで検索してみると、ほんの少しの情報しか見つかりませんでした。経歴についての限られた情報と、意表を作品が何枚か。でもそれだけで、私の好奇心を刺激するには十分でした。

こうして私は、セラフィーヌの極めて独特な世界に足を踏み入れ始めました。即座に私は、彼女の世界には、人の胸を打つ強力な何か、そして映画の素材となり得る何かがあることを、はっきりと感じました。この印象はますます強くなる一方でした。その後、入手可能な文献をすべて読み終えると私が抱いていた第一印象は、もはや確信に変わっていました。
特に、精神分析学者フランソワーズ・クロアレックの論文が、一番の情報源でした。この人物は、ウーデの妹アンヌ・マリーと知り合いで、彼女が持っていた手紙や数多くの資料を保有している人物だったのです。
セラフィーヌに魅かれた理由は、言葉にすると愚かしく聞こえるかもしれませんが、彼女と間に感じる魂の近さです。それから、純粋な創作や溢れる創造力を呼び起こすものに対して感じる、彼女の好奇心という畏敬の念です。
ある人々はこれを“素朴(ナイーヴ)”派の芸術と呼び、また、ある人々は“生の芸術(アール・ブリュット)”と呼びます。しかし、どう分類するかは重要ではないのです。昔と同様に、現代においても、学があるわけではなく、恵まれた環境にも生まれていない、教養に縁のない人々が、いまだかつてない、抑えきれない、そして時には人を困惑させるような創造力を持っていることが多々あります。
こうした芸術家たちは、師も弟子もなく、芸術の進化や変動と無縁な、深層の探求者たちです。そして常に、当然受けるべき賞賛とも無縁な存在です。
セラフィーヌは、その言葉どおりの意味で、幻覚者でした。抑制することなく、自分よりも強い何かによって導かれるままに進みました。自分自身を壊してしまうという危険を冒してまでです。私は、その姿に深く感銘を受けたのです。

 

――プレス資料より転載

 

 









■監督・脚本:マルタン・プロヴォスト
フランス、ブロスト生まれ。監督、シナリオライター、脚本・台詞作者、俳優。
高校を卒業後、コメディアンになるためにパリへ。数々の演劇に出演した後、French comedeyの研修員として6年間学ぶ。
その後、ネリー・カブラン監督の『シビルの部屋』(76)に出演し準主役に抜擢される。1989年、パリのアヴィニヨンにわたり、『Comme moi quiqly』(未)を発表する。その後『J'AIPEUR DU NOIR』(90・未)、『Cocon』(92・未)、『TORTILAY CINEMA』(97・未)、『Le Ventre de Juliette』(ジュリエットの妊娠)(03・未)で2003年度アヴィニヨン映画祭で撮影賞を受賞。



■スタッフ
監督・脚本:マルタン・プロヴォスト
プロデューサー:ミレーナ・ポワロ、ジル・サクト
脚本:マルク・アブデルヌール
撮影:ロラン・ブリュネ
録音:フィリップ・ヴァン・デン・ドリューシェ
美術:ティエリー・フランソワ
衣裳:マドリーン・フォンテーヌ
編集:ルド・トロフ
音楽:マイケル・ガラッソ

     

 

 

   


(C) TS Productions/France 3 Cinema/Climax Films/RTBF 2008

原題:Séraphine
2008/フランス、ベルギー、ドイツ /126分/35mm/フランス語、ドイツ語/アメリカンビスタ
配給:アルシネテラン