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やがて来たる者へ
L'UOMO CHEVERRA'

2011年10月22日、岩波ホールほか全国順次公開


■ストーリー
 1943年12月。イタリア北部ボローニャに近い静かな山村。第二次世界大戦で、同じ年の7月に連合軍が南イタリアに上陸して以来、ナチスドイツとパルチザンの攻防が激化、街から離れた山間のこの村にも戦争の影が迫ってきていた。
  地元ファシストとナチスが目を光らせる中、村の家々には近隣の山にこもるパルチザンが、食糧や物資を求めて密かに出入りしていた。

 両親や親戚と暮らす8歳のマルティーナは、大所帯の農家の一人娘。生まれたばかりの弟を自分の腕の中で亡くして以来、口をきかなくなってしまっていた。そのために学校でいじめられたりもするが、豊かな自然の中、家族に見守られて平穏
な日々を過ごしている。

 


■キャスト:
アルバ・ロルヴァケル
マヤ・サンサ
クラウディオ・カサディーオ
グレタ・ズッケリ・モンタナーリ
ステファノ・ビコッキ
エレオノーラ・マッツォーニ
 



       

 

 忍び寄る戦争への緊張感はあるが、種をまき、秋には収穫するという家族のつつましい日々は変わらず、いつもどおりの生活をしている。そんなある日、母のレナはふたたび妊娠、マルティーナと家族は新しい子の誕生を心から待ち望む。
 
  しかし、夏がすぎて戦況は徐々に悪化。都会からの疎開者も流れてくるようになった。地元の若者たちはパルチザンに加わり、ドイツ軍に抵抗する。村の近くでもたびたび爆撃が起こり、そのたびに教会や山に逃げ込む村人たち。状況が悪くなっていることは感じても、マルティーナにはどちらが敵で、どちらが味方かよくわからない。
1944年9月29日の早朝、レナは男の子を無事出産するが、一家の喜びもつかの間、ドイツ軍がパルチザンを掃討する作戦を開始、村に大挙して乗り込んでくる・・・

※   ※   ※

 

       
 




       


■プロダクション・ノートより

ジョルジョ・ディリッティ監督インタビュー

―タイトルの『やがて来たる者へ』の意味するものは?
「映画の中では2つの意味がある。まず1つはともあれ、マルティーナが待ち続けていて、いずれ虐殺から救うことになる弟だ。でもそれは今話している問題に関わる問いかけでもある。つまり、未来の人間はどのようなものなのか?たとえば広島で起きたような悲劇を体験し、生き延びる人間は、どんな未来を築くことができるのだろうか?その悲劇から、どのような姿の未来がありうるのかを理解する上でどんな責任を、どんな能力を持っているのか?その意味ではぼくはあまり楽観的にはなれない」

―同感だ。
「いや、特に楽観的になれないのは男たちについてだ。男の世界は、好戦的で野蛮な側面を持っているからね。常に自分の優位性を示さなければならない。これが荒廃をもたらす」

―アングロサクソンの世界で言うと、ディリッティは初めに植民地主義や奴隷制が存在し、数十年の時を経てナチズムという“洗練された”差別主義に進化していった、と説く。
「強固な平等の意識が生み出されるまでは厳しいだろう。今もまだ、アフガニスタンのような状況下では、日本ではどうか知らないけど、イタリアでは新聞に“アメリカ人兵士2人が死亡”という見出しが出て、それから下に小さく“45人の民間人がテロで死亡”と書かれる。どうしてだ。少なくとも同じレベルじゃないのか。いや、むしろ2人のアメリカ人兵士は危険を承知で選んで行ったわけだが、市場に居合わせた45人の人々は死ぬためではなく、食べ物を買いに行っただけなんだ。だから残念ながらここに権力の、強者の、支配の・・・、英雄の・・・、ヒロイズムの力学に左右された、事実に対する観点の相違が生じる。ヒロイズムというのは、これもまたもう1つの、おそらく致命的な発明だ」

―確かに作品中にヒロイズムは見受けられないし、歴史的虐殺を扱いながらナチの暴虐に対することさらの糾弾の姿勢もない。
「一つには彼らがやっていることは、それだけであまりにも明白だから、必要なかった。ぼくにとってそれより大事だったのは、彼らもまた我々と同じような人間だと示すことだったんだ。というのも、あまりに多くの場合、たとえばただ単に、誰かが窓から銃で通りがかりの人間を撃ったとすると、世間ではやれ狂ってるだの、“怪物”だのと言う。だが違う。それも人間だ。中には精神に異常をきたした者もいるだろうが、ごくわずかな数だ。ドイツ人のすべてが精神異常者だったわけじゃない。何が彼らを駆り立てたのか。“教育”だ。だからそうした者たちも人間なのだと示すことが重要だった。彼らの多くは人間だった。そして彼らの第1の関心事はきっと、家に帰って子供たちとすごし、普通の生活を続けることだったはずだ。けれども、ナチズムの論理や思想や権力といったすべてが自然に彼らを駆り立て、自然に人々をまるで鼠のように殺させた」


 

 









ジョルジョ・ディリッティ監督
1959年イタリア、ボローニャ生まれ。地元ボローニャを拠点にキャスティングディレクターを務めるかたわら、エルマンノ・オルミが1982年に設立したワークショップ型の映画学校に勤務。自らもドキュメンタリー、ショートフィルム、TVドラマの制作に携わる。
長編デビューは2005年、ピエモンテの寒村の人々とフランスからやって来た酪農家との交流を描いた「Il vento fa il suo giro」(風は自分の道をめぐる)。自然主義的手法を絶賛された。



■スタッフ
監督・原案・脚本・製作:ジョルジョ・ディリッティ
脚本:ジョバンニ・カラヴォッティ、タニア・ペドローニ
撮影:ロベルト・チマッティ
美術:ジャンカルロ・バジーリ
衣装:リア・フランチェスカ・モランディーニ
編集:パオロ・マルゾーニ
音楽:マルコ・ビスカリーニ、ダニエレ・フルラーティ
製作:シモーネ・バキーニ

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://www.alcine-terran.com/yagate/

(C)ARANCIAFILM2009

原題:L'UOMO CHEVERRA'
2009年/イタリア/イタリア語/シネマスコープ/117分
日本語字幕:岡本太郎
配給:アルシネテラン