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Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち

2012年2月25日(土)よりヒューマントラスト有楽町他全国順次3D公開


■ストーリー
 舞踊芸術で演劇とダンスを融合させた舞踊家ピナ・バウシュ。彼女が率いたヴッパタール舞踊団の不朽の名作、『春の祭典』(1975)、『カフェ・ミュラー』(1978)、『コンタクトホーフ』(1978,2000,2008)、『フルムーン』(2006)を、ヴィム・ヴェンダースが3D映画化。

 春の祭典:ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが、1913年にロシアバレエ団のために作曲したバレエ音楽。ピナがこの曲の振付を手がけた当時は、純粋なエロスの祭りとして解釈することが一種の流行となっていたが、ピナは本来の犠牲というテーマで、生贄にされる女性の観点から演出した。
  舞台は、くるぶしが埋まるほどの厚い泥に覆われ、中央に置かれた赤い布の上に一人の女性が横たわっている。一人また一人と女性ダンサーが登場し、思い思いに踊り始める。やがて彼女たちは赤い布が忌まわしいものであることに気付く。そこへ男性ダンサーたちが加わり、男女が対立するような圧倒的な迫力の群舞が始まる。彼らの暴力的ともいえる激しい動きに沿って、泥はかき乱され、足跡が残されていく。徐々に赤い布が生贄のシンボルであることがわかってくる。布は一人の女性が次の女性へとおずおずと手渡され、ついに最後の女性の手に渡る。布は衣装となり、それを着せられて生贄となる女性が、荒々しくも悲しい死の舞踏を踊る。

 

 


■キャスト
ピナ・バウシュ
ヴッパタール舞踊団のダンサーたち
 




       

 

 カフェ・ミュラー:ダンスと演劇を融合させる“タンツテアター”のスタンスが、明確に打ち出され始めた頃の作品。ペドロ・アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』(02)の冒頭でピナ・バウシェが踊り、話題を集めた。
  舞台は、タイトルどおりカフェのような空間だが、壁や床の装飾は一切なく、たくさんのコーヒーテーブルと椅子だけが雑然と並べられている。不思議な夢の世界のような雰囲気の中、ヘンリー・パーセルの物悲しいアリアが流れる。一人の女性ダンサーが目を閉じて、我を忘れたかのように闇雲に進み踊る。一人の男が現れ、彼女がぶつからないように、彼女の椅子をはねのけ、テーブルをずらす。ピナが存命中には、ピナ自身もダンサーとして参加、舞台の奥の片隅で踊り続けた。ピナも目を閉じていて、まるで夢遊病者か幽霊のようなうつろな動きだ。やがて女性ダンサーの前に別の男が現れ、二人は抱擁するが、突然現れた第3の男が彼らに違う抱擁の型を押し付ける。繰り返しが延々と続き、だんだん激しいテンポになった後、ダンサーたちは好き勝手な動きを始め、ピナは中央に進み出て踊る。やがてダンサーが消えて暗くなった舞台に、ピナだけが何かを暗示するように残っている・・・・


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■プロダクション・ノートより

監督:ヴィム・ヴェンダース インタビュー

1985年、ヴィム・ヴェンダースは、ヴェネチアで開催されたフェスティバルで始めてピナ・バウシュの作品に出会い、衝撃と感銘を受ける。そこから2人のアーティストとしての親交が始まり、やがて共同で映画を作る計画が持ち上がる。しかし、この計画はなかなか実現しなかった。ヴェンダースは、ダンス映画の類をすべて研究するが、肉体をフルに使い、映画で表現するための適切な手法を見つけることができなかったからだ。
2007年、カンヌ国際映画祭で上映された、ロックバンドU2の3Dライブ映画『U2/3D』を観た時、ヴェンダースは、決定的なひらめきが訪れる。「3Dだ!3Dなら空間の広がりを実現できる。ピナの舞台を映画化するにはこれに賭けるしかない」。そう直感したヴェンダースは、すぐにピナに電話をかけ、彼女に「やっと君たちを撮る方法を見つけたよ」と告げた。

2009年初め、ヴェンダースは、ピナとヴッパタール舞踊団の団員とともに撮影前の作業に入っていた。半年に及ぶ徹底的な準備を終え、3Dのリハーサル撮影をわずか2日後に控えた時、信じられない出来事が起きた。2009年6月30日、ピナが急死したのだ。ヴェンダースは、直ちに準備を中断し映画はできないと覚悟する。そもそもピナ自身が映画を作る理由であり、彼女は『主役』を越えた存在だったからだ。
喪に服した後、結局、ヴェンダースは映画化を望む世界中からの声と遺族の同意、そしてダンサーたちの強い要望に背中を押され、映画を撮る決意をする。大きなものを失ったが、まさに機は熟したのだ。おそらくピナの偉業を映画に残す最後のチャンスだった。
ヴッパタール舞踊団で衣装デザインを長年勤め、本作でも衣装を担当したマリオン・スィートーは、「ピナが亡くなったなんて信じられない。深い悲しみはとても乗り越えられるものではないし、克服するにはもっと時間が必要。でも彼女は作品の中に生きている。撮影はすべてピナのためだと思うことで救われる。ピナは映画化を強く望んでいたから」と語っている。


 

 









■監督:ヴィム・ヴェンダース
1945年、ドイツ、デュッセルドルフ生まれ。ミュンヘン大学在学中に短編映画の制作を経て、卒業制作で長編映画『都市の夏』(70)を発表。その後、『都会のアリス』(73)、『まわり道』(74)、『さすらい』(75)がロードムービー3部作としてドイツ国内で高い評価を受ける。
『アメリカの友人』(77)を観たフランシス・フォード・コッポラからの誘いでアメリカに渡って『ハメット』(82)を撮影するが、ハリウッドの映画製作方法になじめず、自分自身がうまく監督できなかった様をイメージして描いた『ことの次第』(81)を完成させ、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。84年に『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭パルムドール、英アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。
『ベルリン・天使の詩』(87)で、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。ほかに、『ミリオンダラー・ホテル』(2000)、『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(80)、『東京画』(85)、『都市とモードのビデオノート』(89)、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(99)などがある。

■スタッフ
監督・脚本・製作:ヴィム・ヴェンダース
振付:ピナ・バウシュ
プロデューサー:ジャン=ピエロ・リンゲル
美術:ペーター・パプスト
芸術コンサルタント:ドミニク・メルシー、ロベルト・シュトルム
衣装:マリオン・スィートー
舞台・衣装デザイナー:ロルフ・ボルツク
撮影:エレーヌ・ルヴァール
音楽:トム・ハンレイシュ

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://pina.gaga.ne.jp/

(C)2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION

原題:PINA
2011年/ドイツ、フランス、イギリス映画/ヴィスタ/104分
日本語字幕:吉川美奈子
配給:ギャガ