ピナ・バウシュ 夢の教室
|
■キャスト ピナ・バウシュ ベネディクト・ビリエ ジョセフィン=アン・エンディコット ほか |
|||||||||||||
|
ピナ自身の企画を実現するため、ヴッパタール舞踊団で活躍したダンサー、ベネディクトとジョーによる、毎週土曜日の猛特訓が始まる。 ※ ※ ※
|
|||||||||||||
アン・リンセル監督 インタビュー 私がピナ・バウシュの存在を知ったのは、彼女が1973年にヴッパタール舞踊団に加わった時でした。私は彼女とタンツテアターに何年も密着しました。そうして信頼関係が培われ、ピナは自分の映画を作ることを許してくれたのです。我々は二人とも、14〜17歳の学生たちには特別な保護が必要であることに気づいていました。例えばリハーサル期間中、他のどんな撮影チームも一切立ち入りを許さず、メディアに写真や記事が掲載されることも許しませんでした。彼女はインチキな世間に、自分の仕事を邪魔されたくなかったのです。 この映画の制作は、これまで私が手掛けた中で最も楽しい仕事でした。誰一人、過去にダンス経験のない若い演者たちが、1年近くかけて演目を学んでいくその情熱と激しさは、圧倒的なものでした。レッスンがスタートした直後、一人の少年が言いました。 レッスン初期の頃、少年少女たちは、他人に触れるのを恥ずかしがっていました。しかし徐々に彼らは自信をつけ、自分の感情を認め、表現することができるようになっていきました。例えば、混乱した一人の少女が男たちに慰められるシーン。最初は一人の少年が優しく彼女を撫で、次に別の少年が彼女を叩き、最後は13人の少年たちが彼女に触れ、次第に様々な部分を触り始めます。優しさが、制御の効かない攻撃へと変わっていくのです。少年たちは役と現実の区別をつけることの困難さに気づき、各々が、少女役のキムに感動的なやり方で謝罪しました。彼らは「本当に君を傷つけたいと思っているわけじゃないよ。」とはっきりと彼女に伝えたのです。また、一人の少女と一人の少年がステージの両端で下着以外の洋服を脱ぎ捨てるラブシーンでは、彼らは時間を掛けて恥ずかしさを克服し、「プロフェッショナル」な振る舞いに適応していきました。2人の指導者ジョー(ジョセフィン)=アン・エンディコットとベネディクト・ビリエが、教育者としての素晴らしい技量を持ち、また細やかな気配りをしていたおかげです。 (プレス資料より転載) |
||||||||||||||
|
■監督:アン・リンセル ヴッパタール在住。芸術と文化のジャーナリスト、評論家。芸術、芸術史、ドイツ語、ドイツ文学を学び、1984年-1989年まで、ZDF(第二ドイツテレビ)社の文化誌「Aspekte」に携わる。 同ZDF社の30分トーク番組「Sonntagsgesprache」の進行役を務め、1989年から2004年までZDF社のシリーズ「Zeugen des Jahrhunderts」では司会者を務める。 ■スタッフ 監督:アン・リンセル 撮影:ライナー・ホフマン 編集:マイク・シュレマー 音楽:ウーヴェ・ドレッシュ、トーマス・ケラー、トビアス・リンセル、ポール・オベルレ、ティム・ドーンケ 音響デザイン:ウーヴェ・ドレッシュ プロデューサー:ゲアト・ハーグ 共同プロデューサー:アン・リンセル |
|||||||||||||
|
原題:TANZ TRÄME Jugendliche tanzen KONTAKTHOF von Pina Bausch |
|||||||||||||
|
||||||||||||||