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スティーブ・ジョブズ
Jobs

2013年11月1日(金)TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー


■ストーリー
 誇らしげにiPodを紹介するスティーブ・ジョブズ。2001年、アップルコンピュータ社の社内ミーティングで、ジョブズは社員から拍手喝采を浴びる。だが、ここまで来るには、厳しく険しく、それでいてワクワクする、長い道のりがあった──。

 1974年、ジョブズは面白くない講義を受けるのは学費と時間のムダだと、リード大学を中退する。そのくせキャンパスを自由に出入りし、カリグラフィーなど興味のある授業にだけは出ていた。精神世界に傾倒したジョブズはLSDを体験し、友人のダニエル・コトキとインドまで導師に会いに行く。帰国したジョブズは、ビデオゲームメーカーのアタリ社に就職するが、人間関係でトラブルばかり起こしていた。上司はジョブズに「君はクズだ」とまで言い放つが、優秀なジョブズをクビにはできない。結局、ジョブズは自分一人のチームで仕事することになる。

 


■キャスト
アシュトン・カッチャー
ダーモット・マローニー
ルーカス・ハース
ジェームズ・ウッズ
 





       

 

 友達のスティーブ・ウォズニアックにゲームの再プログラムをやらせ、ジョブズは臨時ボーナスの大半を独り占めする。ウォズはヒューレット・パッカードに勤めていたが、趣味で画期的な個人用コンピュータを作っていた。ジョブズは、コンピュータマニアの集まりであるホームブリュー・コンピュータ・クラブでマシンを披露する。だが、人見知りで口下手のウォズのプレゼンは、全くウケなかった。

 数日後、ジョブズはパーツ店に出かけ、強引に取引をまとめる。こうして1976年、アップルコンピュータは、ジョブズの実家のガレージに誕生した。第2号機のイメージが閃いたジョブズはウォズに開発を任せ、出資者を獲得するために、一日中売り込みの電話をかけ続ける。インテルで財を成したマイク・マークラが突然ガレージに現れる。ジョブズの強い眼差しに可能性を感じたマークラはその場で多額の出資を決め、アップルの法人化に着手する。

 1977年にサンフランシスコで開かれた、第1回ウェストコースト・コンピュータ・フェアで、ジョブズは世界初の一体型パーソナル・コンピュータApple Uを発表、爆発的な売上を記録する。瞬く間に、巨大化するアップル。ジョブズは“Lisa(リサ)”と名付けた新機種の開発の先頭に立ち、独裁を振るっていた。意見が合わない社員は、その場でクビにする。創立メンバーさえも、能力が落ちた者には発起人株を1株も渡さなかった。

 創立からわずか4年で株式を上場、ジョブズは2億ドルを超える資産を手にする。だが、取締役会はLisaに予算を注ぎ込みすぎるジョブズに危機感を抱いていた。パソコンに進出したIBMにケンカを売る広告を出したのも問題だ。
 Lisaの開発から外され、誰も期待していないMacintosh(マッキントッシュ)プロジェクトに追いやられたジョブズは、逆に闘志を燃やす。社内を廻り、優秀なスタッフをMacチームにスカウト、その中にはウォズら創立メンバーもいた。

 Mac販売のため、マーケティングに長けた社長を求めたジョブズは、ペプシの社長ジョン・スカリーを、「一生、砂糖水を売るのか?」と説得して連れて来る。1984年、Macが発売されるが、売上は一向に伸びない。さらに追い打ちをかけるかのように、マイクロソフトから類似製品の発売が予定されていることが発覚、ジョブズはビル・ゲイツを「泥棒」と罵るが、アップルの大惨敗は変わらない。価格を上げたからだとスカリーを責め、孤立するジョブズ。そんな彼の元を去っていくウォズ。
スカリーに切り捨てられ、父のように慕ったマークラに裏切られ、自分の会社から追われるジョブズ。失意と絶望の中、それでもジョブズは次の光を見つける・・・


※   ※   ※

 

 

       
 




       

■notes 

実在の登場人物

Steve Jobs スティーブ・ジョブズ (社員番号 0番)
アップルの共同創業者。1955年、生まれてすぐに養子に出される。若い頃はヒッピー暮らしや放浪、曹洞宗の禅の修行などを通して自分探しを続けたが、その間にスティーブ・ウォズニアックがつくっていたパソコンに可能性を感じ、アップルコンピュータ社を創業。以来、家庭用コンピュータの元祖、Apple IIをつくり、マウスで操作する今日のパソコンの元祖のMacintoshをつくり、出版物の製作で用いられているDTPという出版技術の基礎をつくった。
取締役会との確執で自ら創業したアップル社を退社に追い込まれる。その後、NeXT社とピクサー社を創業。NeXT社は1996年にアップル社によって買収、これがきっかけでアップル社に舞い戻る。倒産寸前だったアップル社は、iMac、iPod、iTunes Music Store、iPhone、iPad、MacBook Airを世に送り出し、ビジネス的にも時価総額で世界一位にまで上り詰めていくが、その過程で膵臓がんにかかり長い闘病の末、2011年10月5日、56歳の若さでこの世を去った。

Steve Wozniak スティーブ・ウォズニアック (社員番号 1番)
通称ウォズ。1950年生まれ。ジョブズと共にアップルを設立した共同創業者。学生をしながらヒューレット・パッカード社で働いていた頃、ジョブズがアルバイトに来たのがきっかけで一気に親しくなった。
電子工作の天才で世界中に無料で電話をかけられるブルーボックスという装置を開発したところ、ジョブズがこれに商売の芽を感じて売って回った。その後、Apple Iの前身となるパソコンをつくると、ジョブズにアップル社を設立して一緒に働くことを持ちかけられた。
ウォズ自身は会社経営には興味がなかったが、技術者としてアップル社内の難しい技術的課題に常に取り組み続けた。人間味溢れる一面もあり、株式公開直前、ジョブズの画策で株をもらえずにいた初期の社員達に自らの株を安く提供して回った。1981年、自身が操縦していた飛行機で事故を起こし、一時アップルを離れるが1983年に復帰。ジョブズが辞めた2年後の1987年までアップルで働き続けた。

Mike Markkula マイク・マークラ (社員番号 3番)
1942年生まれの投資家で、アップル社の2代目CEO。フェアチャイルド・セミコンダクター社やインテル社でマーケティング・マネージャーとして働き、ストックオプションで何百万ドルの利益を出し、32歳で引退をしていた。
1977年、アップルへの出資者を探していたジョブズが、投資家ドン・バレンタインを訪問した際、ジョブズとマークラが会うとすぐに意気投合した。ただお金を投じるだけでなく、自らも専門知識と人脈を提供する社員番号3番の社員として貢献することになった。
Apple II時代には、自らいくつかプログラムを書いたりもした。以来、20年に渡ってアップル社の取締役会に座り続けた。ジョブズのやり方にとても理解を示す一面がある一方で、ジョブズとスカリーの確執が本格化した時にはスカリーの側につき、反対に、スカリーの立場が危なくなると彼の追い出しにもかかった。
その後、ギル・アメリオがCEOになると、彼はジョブズを呼び戻すことにも協力したが、1997年、ジョブズがアップルでの実権を取り戻すのに合わせて彼の策略でアップルを追い出されてしまう。しかし、取締役会を退いた後もジョブズやアップルとの交流は続いており、初代iMacが完成した時には、発表前にアップルに招かれていた。

Daniel Kottke ダニエル・コトキ (社員番号 12番)
1954年生まれ。1973年、リード大学に入学して1週間目にスティーブ・ジョブズと出会い、お互い禅などの東洋思想やボブ・ディラン、LSDなどへの関心が高かったことから親しくなった。ディランの海賊版や禅、ヨガ関連の書籍などを共有し、一緒にベジタリアンやフルータリアン(果実しか食べない)になったり、ヒッピーのコミューンで生活をしたり、インドへの旅に出たりとジョブズの青年期の生き方や考え方に大きな影響を与えた。
その後、ジョブズがBYTEショップに販売する50台のApple Iを生産する手が必要になるとコトキにも声がかかった。アップル社設立後はエンジニアとして基板のチェックを行なったりしていたが、ジョブズは彼の働きぶりに納得せず、株式公開前に「彼には0株あげる」と言って株を渡さなかった。その後、コトキは初代Macのキーボード開発などに関わった後、ヨーロッパに旅行するが、帰国後、他社からエンジニア契約をもらったのをきっかけにアップル社を去った。

Jonathan Ive ジョナサン・アイブ
英国生まれのデザイナーで、アップル社の現デザイン部門上級副社長。ロンドンでデザイン会社を立ち上げた直後の1992年、アップル社の当時のデザイン部門長にコンサルティングを頼まれ、そのまま、若い頃に大きなデザイン的影響を受けたアップル社に入社、ジョブズ不在時代のアップルで製品デザイナーとしての頭角を現し始める。
1997年、アップルを再び経営することに興味を示してさまざまな社員と話しをしていたジョブズに出会い、その素晴らしい才能と働きぶりでジョブズに衝撃を与え、アイブも、それまでの経営者と違いデザインの大事さに理解を示してくれるジョブズが経営トップに立つことに感謝をした。以来、2人はアップルの社内でも特別な関係を築き、その二人の協力関係は1998年登場のiMacから形になり始める。当時、パソコンの基板は四角いのが当たり前だったが、iMacではブラウン管の形に沿った本体デザインを最優先して、基板の方を半円形にした。2人はジョブズがアップルの経営トップに立っている間、ずっとお互いにいい刺激を与え合った。ジョブズ逝去後は、いつも気さくにくだらないアイデアを言い合っていたことや、旅行先で一緒に色々なところを巡った思い出を語った。アイブはジョブズの遺言でアップル社内でも誰も干渉できない特別な立場に置かれている。

Jeff Raskin ジェフ・ラスキン (社員番号 31番)
1943〜2005年。ユーザーインターフェース専門家。1977年頃までは大学で、音楽関連のプログラムをつくったり、教員として働いていたりしていたが、ウェストコースト・コンピュータ・フェアでアップルの2人の創業者に会い、その後、Apple IIのプログラミングマニュアルを任される。それがきっかけで1978年、社員番号31番をもらって出版部門で働き始める。
社内で、それまでとは劇的に異なるコンピュータを開発すべきだと説いて回り、自らMacintoshプロジェクトを始めるが、当初、これはジョブズに潰されかかった。ラスキンは、マウス操作など新時代のコンピュータへのアイデアが溢れるゼロックス社のパロアルト研究所の訪問をジョブズに勧めるが聞き入れられず、元教え子でジョブズが一目置くビル・アトキンソンを通して説得。結局、ジョブズはこの研究所の訪問がきっかけで、完全に考えを変えてしまう。そして、Lisaプロジェクトから外されたジョブズは実質的にMacintoshチームを乗っ取り、ラスキンを追い出してしまう。ラスキンは、自分がMacで元々目指していたコンピュータを、キヤノンと組んでCanon Catという製品に仕立てる。ジョブズとはアップルを辞めて以来、交流がなかったが、2人の子供が同じ学校に通っていたのをきっかけで後に旧交を暖めることになる。

(プレス資料より抜粋)

 

 









■監督・製作:ジョシュア・マイケル・スターン
2005年、『Neverwas』で映画監督デビュー。イアン・マッケラン、ブリタニー・マーフィ、ジェシカ・ラングらが出演。脚本も自ら担当し、同年のトロント国際映画祭でプレミア上映された。『ケビン・コスナー チョイス!』(08/未)でも監督・脚本を担当。企画進行中の作品としては、アンソニー・ホプキンス、キーラ・ナイトレイ、グウィネス・パルトロー、ナオミ・ワッツら出演で戯曲「リア王」を革新的な形で映画化、監督を担当予定。
 
■スタッフ
監督:ジョシュア・マイケル・スターン
脚本:マット・ホワイトリー
撮影:ラッセル・カーペンター
衣装:リサ・ジェンセン
編集:ロバート・コマツ
音楽:ジョン・デブニー
製作:ジョシュア・マイケル・スターン、マーク・ヒューム

     

 

 

   

■オフィシャルサイト
http://jobs.gaga.ne.jp/

(C)2013 The Jobs Film,LLC.

原題:Jobs
2013年/アメリカ /127分