ディオールと私
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■キャスト ラフ・シモンズ、Diorアトリエ・スタッフほか |
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クリスチャン・ディオールがこのメゾンを率いたのはわずか10年間だったが、彼がファッション界に与えた影響は絶大だった。ラフ・シモンズはインスピレーションを得ようとディオールの記録を調べる。絞ったウエストラインに大きな肩、強調されたヒップラインは、戦時中の四角いシルエットとはかけ離れたもので、ハーパースバザー誌が“ニュールック”と名付けたそのスタイルは瞬く間に大人気となり以降10年間を席巻した。 コレクションの準備期間中の休みを利用して、ラフ・シモンズはノルマンディー地方グランヴィルにあるクリスチャン・ディオールが幼少期に過ごした家を訪れる。ディオールの庭で語るラフ・シモンズ、「回想録を読んでも、お互いの経験の差が埋まらないためにうまく理解できない。」、「読むのを止めなければならなかった。妙な気分だったが、最初のショーが終わるまで読むべきじゃないと思った。」と。 パリに戻ったラフ・シモンズにはコレクション発表の場所の決定、そして演出の内容の決定、54着のオートクチュールの完成、マスコミ対応についてなど数多くの業務が待っていた。そしてお針子たちには、コレクション発表直前までの多くの作業が待っていた。すべてのエレガントなドレスたちがランウェイで披露されるまでの8週間。それは、前任者の巨大な影に果敢に立ち向かう若き継承者の果敢な姿と、ディオールの宝と称されるメゾンの中枢にあるアトリエの誇り高きお針子たちの情熱の姿を描いた。
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監督:フレデリック・チェン インタビュー 本作の事前打ち合わせで初めてラフ・シモンズに会った時、彼のあまりに寡黙な態度に驚いた。もちろん、3ヶ月もの間、撮影スタッフに容赦なく付きまとわれるなんて、誰でも気が進まないだろう。しかし、ラフの心配はもっと深刻なもののようだった。そこで、私は彼が見せたこの繊細さを映画の中心にすえようと考えた。 1956年の回想録の中で、ディオールは、メディアにさらされることで生じる疎外感について次のように説明している。「二人のクリスチャン・ディオールが存在する。世間の注目を集めるクリスチャン・ディオールと私生活を大切にするクリスチャン・ディオールだ。両者の溝は広がるばかりで決して交わることは無い」幸いにも、私と顔なじみになるにつれ、ラフ・シモンズのカメラに対する恐怖心は減っていった。 しかし、彼はディオールで開く最初のコレクションで、世間がどの程度注目するかをかなり心配していた。私は、彼がカメラマンにもみくちゃにされる有名人に変貌していくさまをとらえようと撮影を始めた。
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■監督・製作:フレデリック・チェン フランス生まれ。土木工学を学んだ後、2002年コロンビア大学のフィルム・スクールに通うためにニューヨークへ。2007年には美術学修士号を取得。2009年アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた“ヴァレンティノ:ザ・ラスト・エンペラー”をマット・タイルナウアー監督と共同で監督・編集。 『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』(2011)をリサ・インモルディーノ・ヴリーランド、ベント・ヨンゲン・ペルムットと共に監督。詩人サラ・リッグスやファッション・カメラマンのミカエル・ヤンソンとの共作や、H&M、ジミー・チュウ、フェラガモなどの宣伝エディターも務める。 ■スタッフ 監督・製作:フレデリック・チェン 撮影:ギレス・クアルド 編集:フリオ・C・ペレス4世 音楽:ミカエル・ガルベ 、ハヤン・キム 音響:ビルジール・ファン・ヒネケン 製作:ギヨーム・デ・ロックモール 製作総指揮:ジュリエット・ランブール、キアラ・ジラルディ |
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(C) CIM Productions 原題:Dior et Moi 2014年/フランス/DCP/ビスタサイズ/90分/仏語・英語/ 日本語字幕:古田由紀子 配給:アルシネテラン、オープンセサミ
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