ジェームス・ブラウン
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■キャスト チャドウィック・ボーズマン ネルサン・エリス ダン・エイクロイド ヴィオラ・デイビス オクタヴィア・スペンサー ジル・スコット クレイグ・ロビンソン |
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10代の頃は貧乏だったため、盗みを犯し、刑務所に入る。そこに慰問に来たボビー・バードと知り合い、ボビーがジェームスの才能を認め、ボビーの一家が保証人となり、ジェームスは仮釈放される。ボビーとジェームスが組んだバンドは、地元で人気を集めるようになるが、徐々にリードボーカルのジェームス・ブラウンが頭角を現すようになる。 このグループは「フェイマス・フレイムズ」と名乗り、その評判が広まり、オハイオ州シンシナティにあるシド・ネーサンがもつキング・レコードと契約。1956年デビュー作「プリーズ・プリーズ・プリーズ」がヒット。以後、ジェームス・ブラウンはヒットを出すようになる。 1959年4月、ニューヨークのブラック・ミュージックの殿堂アポロ・シアターに始めて登場。1962年にはここでのライブ盤を録ろうと企画するがレコード会社に反対されたために、自費で録音。無理やり発売させたところ、未曾有の大ヒットとなった。 ジェームス・ブラウンのパフォーマンスは、そのダンスと大編成のバンドによるレヴュー・スタイルで人気を集めた。その中で徐々にファンク・サウンドを構築、1965年にのちにファンクの原型と言われるパパズ・ガット・ア・ブランユー・バッグを録音。ファンクの創始者としても音楽史に残る実績を生む。 ヒット曲が量産されるにつれジェームス・ブラウンは単なる人気シンガーというだけでなく、黒人社会のリーダー的存在となっていく。1968年4月4日メンフィスでマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、あちこちで暴動が起こり始める機運が高まると、その翌日予定されていたボストンでのコンサートを、周囲から中止を勧められたが敢行した。これを機にジェームス・ブラウンは黒人運動の旗手として注目されるようになった。 そうした影響力は次第に大きくなるが、私生活では妻と離婚、メンバーとの確執、親友ボビー・バードとの行き違い、ドラッグ問題、税金問など・・・さまざまなトラブルが彼を取り囲む。それでも類まれな行動力で、ジェームス・ブラウンは悩みながらも、日々を突き進んでいた。 1980年には映画『ブルース・ブラザーズ』で牧師役として登場。健在ぶりを見せた。日本ではディスコを中心に多くのヒット曲が流れ、なかでも「セックス・マシーン」、「マザー・ポップコーン」などはよく知られる。 1988年、ふたたび警察沙汰を起こして服役。そのシーンが映画の冒頭で描かれる。音楽面では1990年代に入って、ラップやヒップホップ・アーティストたちが、ジェームス・ブラウンのレコードをサンプリングする手法で使用。オリジナル・ビート、リズムを持って行ったために、ジェームス・ブラウンは最もサンプリングされたアーティストとなった。 1973年の初来日以来、2006年の最後の来日まで来日回数は16回。2006年12月25日、アトランタの病院で死去。
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■監督:テイト・テイラー ミシシッピー州ジャクソン生まれ。俳優、監督、映画プロデューサー。2008年『プリティ・アグリー・ピープル』で長編映画監督デビュー。2作目は『ヘルプ―心がつなぐストーリー』(2011)。アカデミー助演女優賞を獲得。 2012年にジョン・ノリスとともに製作会社、ワイオラ・フィルムズを設立。本作は同社が手がけた初作品。 ■スタッフ 監督:テイト・テイラー 脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース 撮影:スティーヴン・ゴールドブラット 美術:マーク・リッカー 衣装:シャレン・デイヴィス 編集:マイケル・マカスカー 音楽製作総指揮:ミック・ジャガー 音楽:トーマス・ニューマン 音楽監修:バッド・カー、マーガレット・イェン 製作:ブライアン・グレイザー、ミック・ジャガー、ヴィクトリア・ピアマン、エリカ・ハギンズ、テイト・テイラー |
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原題:Get on Up |
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